2024年 4月 30日 (火)

福島第2原発も「あわや炉心溶融」だった 「紙一重」で避けられた理由

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外部電源1系統が「生き残った」

   こうした大きな違いについて2012年2月8日に報道陣へ説明した増田所長によると、決定的な差は「電源」の有無にあったことがあらためて浮き彫りになった。

   「全電源喪失」に至った第1原発とは異なり、第2原発では、4系統ある外部電源のうち1系統が「生き残った」。3、4号機の非常用電源も一部残った。

   このため、原子炉内の様々な数値データの確認が可能となり、必要な対策を考えることができたし、冷却のための注水作業もできた。さらに、限られた電源をほかに回すため、仮設電源ケーブルを突貫工事で設置することもできた。

   この「突貫工事」についても、増田所長は、震災発生が平日の日中だった「偶然」を指摘した。当時働いていた約2000人が手分けして復旧にあたったが、夜間や土日であれば所員は当直などの約40人だけで、初動に大きな遅れが出たのは間違いない、というわけだ。

   なぜ電源が1系統生き残ったのか。第1原発では13メートルともされる津波の高さが、第2原発では9メートルとみられ、低かったことなどが影響したようだ。

   電源の状況をめぐる両原発の違いはすでに明らかになっていたが、今回改めて増田所長が「紙一重だった」と振り返ったことで、当時の緊迫した状況が再認識された形だ。

   増田所長は2012年2月8日、「従業員とともに、いち早い復旧のために力を尽くしていきたい」と話していた。

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