2024年 4月 27日 (土)

半藤一利さんは、なぜ史実にこだわったのか
保阪正康の「不可視の視点」<特別編>(1)

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半藤さんの言葉に「雷に打たれたよう」

   編集長を去り、役員になって、半藤さんも昭和史の不透明部分を作品として発表するようになって、親しみが増した。もともと半藤さんは、入社以来、文藝春秋編集部で戦史家の伊藤正徳の企画を担当して、その取材の手助けをしていた。半藤さん自身、軍人の指導層の人々に次々と会っていたのである。そういう含みがあったために、軍人の証言を昭和30年代から40年代と集めていたのである。私は昭和50年代の初めから、軍人たちの話を聞いていたので、結果的にだが、半藤さんは将官と佐官(それも中佐以上になるのだが)、私は佐官(少佐が中心で、中佐以上、大佐は少ない)と尉官、下士官が中心になった。そこで二人が確かめた証言を突き合わせていると、半藤さんは戦略、軍事政策などの決定のプロセスが詳しく、私は中堅幕僚が起案するその内容がある程度はわかることにも気がついた。

   昭和50年代の終わりからということになるのだが、半藤さんとは対談、座談会、さらには共著といった形で20冊近くは刊行している。従って半藤さんの発する一言で、私はそれが何を意味しているかがわかるようになった。たぶん半藤さんもそうであっただろう。対談が多くなったのはそういう呼吸が通じ合うようになったからだった。

   しかし昭和史をなぜ探究するか、なぜ史実にこだわるか、と言った動機について話すようになったのは、そういう対談などとは全く別の私的な会話で確かめてきた。もう15年ほど前になろうか、軍事指導者のあまりにも愚劣な作戦で兵士たちが殺されていったことを思うと、誰かがその責任を問うておかなければならない、我々はそれをやらなければいけない、と聞かされたことがある。その時私は、雷に打たれたような感がした。そうか、そうだったのか、と内心で呟いた。私もその言葉に共感したのである。

   それは政治や思想の問題ではない。ごく当たり前の常識の問題なのである。史実を確認して、それを多くの人に知ってもらう。その解釈や判断はそれぞれがすればいい。とにかく史実を明確にすることが大前提だというのである。私も全く同感であった。

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