アテネ五輪銀の競輪レジェンド・伏見俊昭選手死去 生前最後のブログでは「無事に悔いの無いレースが出来ますよう」

   アテネ五輪チームスプリントで銀メダルを獲得し、KEIRINグランプリを2度にわたって制覇していた競輪の伏見俊昭選手が2026年7月18日に死去した。50歳だった。

  • 伏見俊昭さん(2008年撮影)(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
    伏見俊昭さん(2008年撮影)(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
  • 訃報は松阪競輪のウェブサイトなどで発表された
    訃報は松阪競輪のウェブサイトなどで発表された
  • 生前最後のブログでは「今回も三日間無事に悔いの無いレースが出来ますよう」などとつづっていた
    生前最後のブログでは「今回も三日間無事に悔いの無いレースが出来ますよう」などとつづっていた
  • 伏見俊昭さん(2008年撮影)(写真:YUTAKA/アフロスポーツ)
  • 訃報は松阪競輪のウェブサイトなどで発表された
  • 生前最後のブログでは「今回も三日間無事に悔いの無いレースが出来ますよう」などとつづっていた

25年9月には3年10か月ぶりに優勝、通算600勝を記録

   松阪けいりんの公式サイトは19日、「伏見俊昭選手の逝去について」とのお知らせを通じ、訃報を伝えた。

「伏見俊昭選手(福島・75期)は、競走中の事故により、2026年7月19日、ご逝去されました」

   伏見選手は高校時代に自転車競技を始め、競輪選手としてデビューした翌年にトップクラスのS級へ昇格。04年のアテネオリンピックでは、チームスプリントで銀メダルを獲得している。

   50歳を迎えた現在でも現役選手として活躍し、25年9月18日のF1「山口健治杯」の最終日12R・S級決勝では3年10か月ぶりとなる優勝を果たし、通算600勝を記録していた。

   スポーツ各紙によると、伏見選手は18日、三重県松阪市の松阪競輪場の12Rに2番車で出走。最終コーナーで落車した前方2選手を避けようとして外側の金網に激突。衝撃で落車し、松阪市内の病院に救急搬送されていた。死因は頸髄損傷だったという。

生前最後のブログでは「今回も三日間無事に悔いの無いレースが出来ますよう」

 

   伏見選手は15日、自身のブログを通じて「今日から松阪競輪場に行ってきます!」と報告していた。

「今回は一年ぶりとなるスポンサーさんの冠レース【大正カラーカップ】に参加してきます!」

   「松阪開催は準地元という位置付けでもありますし何よりお世話になっている企業さんの冠レースなのでいつも以上に気合いが入りますね!」、「今回も三日間無事に悔いの無いレースが出来ますよう皆さまからの温かいご声援どうぞ宜しくお願い致します」とつづっていた。

「本当に強くなる為のお手本のような選手でした」

   関係者からも、悲痛の声が上がっている。

   同日の試合に出場していた鷲田幸司選手は、「伏見俊昭という偉大な選手を忘れずに これからも競輪を良くする為に 自分は自分なりに努力したいと思います」とし、事故当時の様子を明かした。

   「今回のS級決勝のレース中の落車事故により 3名の選手が転倒しました」といい「参加選手は20名ほど残っていましたが全員が祈る気持ちで戻るのを待っていました」。

   「5分ほどして伏見さんがストレッチャーに乗せられて検車場に戻ってきましたがその時にもうただ事ではないとわかりました」という。初めてのことに眠れぬ夜を過ごしたが、午前11時ごろに訃報を受けたという。

   伏見選手について、「伏見さんは自分が学生の頃から憧れの存在で 自分はシューズカバーも伏見さんの真似をしてスカイブルーのシューズカバーを作ったり スポーツ用品店で伏見さんと同じグローブを買ってそれでプロ試験を受けて合格しました」とつづり、「本当に強くなる為のお手本のような選手でした」とした。

   いわき市長の内田広之氏は、「本県出身の競輪選手、伏見俊昭さん(50)[白河実業高の出身、アテネ五輪銀メダリスト]が昨日19日、落車事故で死去されたとの訃報。とても悲しく思います」とし、「明日から献花台を、いわき平競輪場に設けさせて頂きます」と報告した。

   「伏見選手は、いわき平競輪場でも、近年では、令和3年の日本選手権競輪、令和4年のオールスター競輪でも力走され、熱いレースで多くの競輪ファンを魅了して下さいました」としている。

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