うつ病を告白し、今季限りの現役引退を発表した元中日ドラゴンズのブライト健太さんが2026年11月4日、noteでチームへの思いをつづった。
担当スカウト「野球より命やぞ」
ブライトさんは21年のドラフト1位で中日ドラゴンズに入団。50m走5.8秒の俊足で知られ、25年は代打を中心に自己最多の83試合に出場し、打率.259、3本塁打、20打点を記録した。
26年は4月1日に出場選手登録されるも、同7日に登録抹消。同19日に再登録されたが、同22日に登録を抹消され、今季の一軍出場は5試合にとどまった。
9月30日に球団から戦力外通告を受け、10月15日に自身のインスタグラムを通じて現役引退を発表。同年の春季キャンプ時から心身の不調があり、うつ病と診断されていたことを明かした。
ブライトさんは「中日ドラゴンズへの感謝と願い」と題したnoteを公開し、「今日は、僕が所属していた中日ドラゴンズへの感謝と、ひとつの誤解を正すために、この文章を書いています」と切り出した。
「『すみません。限界です。』この一言を伝えるのに、どれほどの勇気が必要だったか」と当時を振り返った。
グラウンドに立つ自分を想像することさえできなくなっていたというブライトさんは、担当スカウトの正津英志さんに「うつ病になってしまいました。苦しいです」と打ち明けた。すると、すぐに宿泊先のホテルにやってきた正津さんから「野球より命やぞ」との言葉をかけられた。
ブライトさんは「僕の中で野球を休む選択肢はなかったのでハッとしました」。正津さんは井上一樹監督(当時)に連絡を取り、話し合いの場が設けられた。
「選手である前に、一人の人間として、家族ごと守ってもらった」
井上前監督はブライトさんに「もう一日だけやってみて、また教えてくれ。今日は試合に出さないから、楽しめ」と声をかけたという。
ブライトさんは井上前監督の対応について、「引き止めるでも、突き放すでもない。野球を嫌いにならないように、最後にもう一日だけ野球を楽しむ時間をくれたのだと、今は思います。結果的に、その日が僕の野球人生最後の日になりました。でもあの日は、一生忘れられない一日になりました」とつづった。
その翌日、ブライトさんが「限界です」と伝えたところ、休養が決定。また、井上前監督はブライトさんの妻に電話をかけ「ブライトを帰すから、よろしく頼みます」と伝えたという。
ブライトさんは「選手である前に、一人の人間として、家族ごと守ってもらった。あの瞬間のことを、僕は一生忘れません」とした。
さらに、「休養中も、球団は変わらず給料を支払い続けてくれました。病院を紹介し、定期的に僕の状態を確認し、本当にたくさんのサポートをしてくださいました」と明かし、「成績を残せなかった選手に、ここまでしてくれる球団がどれだけあるでしょうか。僕は本当に恵まれています」とした。
「一樹さん正津スカウト、そして中日ドラゴンズの関係者のみなさんの支えがなければ、今の僕はここにいなかったと思います」と感謝をつづった。
「これからはみなさんと同じ応援で力になりたいと思います!」
一方、自身の休養をめぐるSNS上の反応についても言及したブライトさん。
「僕が休養したことで、球団や一樹さんが誤解されたり、批判されたりしているのを目にしました。正直すごく悲しいです」と胸の内をつづった。
チームやファンへの思いをつづった上で、「この集団は、必ず日本一になれる。僕はそう信じています」。「僕は、グラウンドでは力になれませんでした。でも、これからはみなさんと同じ応援で力になりたいと思います!」との決意を明かした。
「そしていつかバンテリンドームに応援に行くのが僕の一つの夢です。選手を支える一人のファンとして、力になりたい。それが、受けた恩への僕なりの答えです」
ファンに向け「だから、お願いがあります。一緒に、中日ドラゴンズを応援しましょう」と呼びかけ、「そして、優勝したその日には、みんなでパレードを見に行きましょう。選手として見れなかった景色の中で、僕もみなさんと一緒に、思い切り笑っていたいです」と願いをつづった。
ブライトさんの投稿には、「ブライト選手、夢をありがとう」「生きててくれてよかった。これからは一緒にドラゴンズの優勝、日本一を見届けたいです」など、応援と感謝の声が寄せられている。