電車内では、隣の乗客との距離が近く、体や荷物が触れてしまうことがある。とくに冬は、厚手のコートやダウンジャケットを着用する人も多く、座席が窮屈に感じられる場面もあるだろう。
しかし、座席の狭さを理由に見知らぬ相手から容姿について指摘されたら、戸惑う人も少なくないはずだ。
数年前の冬、友人に会うため電車を利用していた中村健一さん(仮名・40代)は、隣に座った外国人男性から「太っている」と言われ、口論になった。ところが、その後の会話で思いがけない展開を迎えた。
「デブじゃない」「デブ」と応酬を続け
この日、中村さんは7人掛けの座席の端に座り、イヤホンで音楽を聴いていた。車内は暖かく、ダウンジャケットを脱ごうか迷ったものの、面倒に感じてそのまま過ごしていたという。
「数駅過ぎたところで、年配の外国人男性が乗ってきて、私の隣に座ったんです。そのときに足や肩、膝がぶつかりましたが、よくあることだと思って気にしませんでした」
ところが、しばらくすると、男性が肘で中村さんの脇腹を突いてきたそうだ。
「驚いて顔を見ると、片言の日本語で『ちょっと、あなた、デブね。邪魔ですよ』と言ったんです」
思いもよらない発言に、動揺しながらも言い返した。
「は? 僕はデブじゃありませんよ! どちらかと言えば痩せています! このダウンジャケットがモコモコしているだけなんです」
しかし、男性は、「いや、あなた、デブですよ」と譲らなかった。
「そこからは、『デブじゃない』『デブ』の繰り返しです。周りの乗客からも見られている気がして、恥ずかしいやら、情けないやら、悔しいやらで――」
中村さんは、次の駅で降りてしまおうかと考え始めていた。すると、男性が話題を変えてきたという。
「私、俳優さんです」まさかの告白
「男性に、『ところであなた、今日はどこに行くんですか?』と聞かれたんです。あまりに唐突だったので、つい『友人に会いに行くんです』と答えていました」
男性は急に笑顔になり、「オオ、それはいいですね! 素晴らしい! 友人と映画は見ますか?」と続けた。
「思わず笑ってしまって、『え、映画? いや、映画は見ないと思いますけど』と返しました」
すると、男性は「自分が俳優をしていること」を言い出したのだ。
「『今、私の出ている映画がやっていますから、よかったら、見に行ってください』と言うんです。もう、おかしくて爆笑してしまいました」
中村さんが「ちょっと、それ、絶対嘘でしょ?」と疑うと、男性は、
「本当です、私、俳優さんですから、サインしましょうか?」
と返してきた。
「思わず、『いりませんよ!』と言いました。さっきまで言い合いしていたのに、こんな話になるとは思いませんでしたね」
結局、男性が本当に俳優だったのかは分からなかったものの、ふたりはすっかり打ち解け、最後は笑顔で握手を交わして別れたという。
容姿をめぐる口論から一転、映画の話で盛り上がったふたり。相手の正体は謎のままだが、中村さんにとっては、なんとも不思議な電車での出来事となった。