2024年 4月 26日 (金)

天才作曲家ビゼーの「アルルの女」組曲 完成するまでの紆余曲折

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   今日は、この連載でも取り上げたオペラ「カルメン」の作曲者、フランスのジョルジュ・ビゼーのもう一つの代表作、管弦楽のための「アルルの女組曲」を取り上げましょう。学校の教科書にも載ることの多い曲ですので、組曲に含まれる「ファランドール」、「メヌエット」などを1度は聴いたことがある、という方も多いかと思います。

  • ビゼーの肖像
    ビゼーの肖像
  • 原作、『アルルの女』の舞台となった南仏アルルの闘技場
    原作、『アルルの女』の舞台となった南仏アルルの闘技場
  • ビゼーの肖像
  • 原作、『アルルの女』の舞台となった南仏アルルの闘技場

天才少年がそのまま天才作曲家に

   ビゼーは、1838年10月25日パリに生まれました。父は声楽教師、母親はピアニスト、そして、母方の叔父は有名なオペラ歌手にして声楽教師という環境だったため、彼の将来の目標に音楽家が入ってくるのは自然なことでした。

   母からピアノの手ほどきを受け、わずか9歳で私の母校でもあるパリ国立高等音楽院に入学した彼は、ピアノやオルガンで優秀な成績を収め、そのあと作曲科にも入学し、弱冠17歳にして交響曲第1番を作曲、19歳でオペレッタ「ドクター・ミラクル」を作曲してオッフェンバックの主催したオペレッタ・コンクールで優勝すると同時に、フランスの若手作曲家のための最高の賞にして、登竜門といわれる「ローマ大賞」の試験に挑戦します。

   彼は試験のためにカンタータ「クロヴィスとクロチルド」を作曲して、見事一等賞を受賞します。天才少年必ずしも大成せず・・などと俗に言われますが、ビゼーの場合は、全く当てはまらず、天才少年がそのまま天才作曲家になったのです。彼の才能は周囲の誰もが認めることとなり、そういった周囲の人たちの引き立てもあって、彼のキャリアは順調に積み重ねられてゆきます。

   ローマ大賞の受賞特典としてローマのフランス学士院での1年間の留学生活を終えた後、フランスに帰国した彼は、作曲家・教育者として活動をはじめ、25歳の時にはオペラ「真珠とり」を世に送り出し、その後も「美しきパースの娘」などを書いてオペラ作曲家としての地位を確立し、同時に交響曲や他の器楽曲も次々に発表してゆくことになります。

ビゼーの作曲意図を忠実に反映した「アルルの女組曲」

   「アルルの女」は、彼が34歳の時、「風車小屋だより」の作者として知られるアルフォンス・ドーデの同名の戯曲の劇付随音楽として書かれた作品です。劇音楽として、ビゼーは全27曲を作曲しましたが、現代では劇音楽としてトータル上演されることは滅多になく、そこから数曲抜粋され、組み合わされたオーケストラ用の「管弦楽組曲」として演奏されることがほとんどです。

   というのも、劇音楽としては、当時の劇場のオーケストラの編成の都合上、少人数のアンサンブルで演奏することになっており、ビゼー自身も、その物足りないサウンドに頭を悩ませたからです。純粋にフル・オーケストラの演奏会用組曲として演奏される「アルルの女組曲」こそ、ビゼーの作曲意図を忠実に反映したものといえるわけです。

   「アルルの女組曲」は2つの組曲があり、第1組曲は「前奏曲」「メヌエット」「アダージエット」「カリヨン(鐘)」の各曲、第2組曲は「パストラール」「間奏曲」「メヌエット」「ファランドール」という曲たちで構成されています。

   フルートとハープの美しい二重奏のメロディーが美しい「メヌエット」や、現地の踊りを思わせる勇ましい「ファランドール」は特に人気が高く、良く取り上げられますが、実は、第2組曲を劇音楽から編曲して編んだのはビゼーではありません。それどころか、3曲目の「メヌエット」は、「アルルの女」劇音楽の中の1曲でさえなく、彼の別のオペラ「美しきパースの娘」の中の1曲なのです。

では、第2組曲をつくった作曲家は誰なのか?

   「アルルの女第2組曲」を編成したのは、彼と1歳違いの友人、同じくローマ大賞受賞者の作曲家、エルネスト・ギロー。ビゼーの才能を大変評価していた彼は、ビゼーの死後、劇音楽アルルの女から、ビゼー自身による第1組曲の選択とは別の3曲を選び出し、そこに、「美しきパースの娘」から抜き出した印象的な「メヌエット」を追加して「第2組曲」としたのです。

   既に劇音楽というより管弦楽組曲として認知されていた「アルルの女」に新たに新しい組曲を追加したのは、それだけギローのビゼーに対する友情の厚さと、作品に対する評価が高さの証しといえるでしょう。

   ギローの意図通り、「アルルの女第2組曲」も大変な成功をおさめ、彼の死後に作られたにもかかわらず、ビゼーの代表作となります。

   ビゼーは、オペラ「カルメン」の初演の3か月後、わずか36歳で亡くなっています。天才は短命、のジンクスからは逃れることができなかったビゼーですが、多くの友人知人、そして、聴衆に惜しまれた彼の才能は、「アルルの女組曲」「カルメン」という作品とともに、クラシック音楽史上に燦然と輝いています。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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