2024年 4月 26日 (金)

幸せな晩年を送ったハイドン 「退職後」に作った「ロンドン交響曲」

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長年の宮廷生活から自由になり、のびのびと

   ザロモンが睨んだ通り、ハイドンのロンドンデビューはいずれも大成功でした。ハイドン自身、一晩の演奏会でもたらされるギャラの高額なことに驚き、「こんなことがあり得るのはロンドンだけである!」と書き残しています。

   12曲の交響曲の最後の作品が 交響曲第104番 「ロンドン」です。本来ならば、12曲全部が「ロンドン」なはずですが、なぜかいちばん最後のこの作品だけが「ロンドン」の愛称で呼ばれています。明るいニ長調で書かれ、長年の宮廷生活から自由になり、のびのびとしたハイドンらしさが第1楽章から、最終第4楽章まであふれています。そして、この曲は、ハイドンの最後の交響曲となりました。

   なぜなら、ハイドンはロンドンで、当時流行していたヘンデルのオラトリオを耳にし、大いに啓発されたからです。一時は居心地のよいロンドンに、ヘンデルのように帰化して定住することも考えたハイドンですが、最終的に大陸に戻ることを決断します。なぜなら、エステルハージー家の当主がまた交代し、再び音楽好きのニコラウス2世が就任して、宮廷楽団を再建したからです。ハイドンは長年親しんだ職場に宮廷楽長として舞い戻り、大規模なオラトリオ「天地創造」や「四季」などを作曲することを選んだのです。

   ロンドンからの帰途、ボンで、ベートーヴェンという少年と出会ったハイドンは、ウィーンで、青年となった彼を弟子にすることになる・・・そんな出会いもありました。

   ハイドンのロンドン行きは、定年後のまことに幸せな成功例、と言えましょう。ロンドンでがっぽり稼いだハイドンは、ウィーンにも大豪邸を建て、自宅内で音楽会を開くこともできたのです。交響曲「ロンドン」には、第2の人生を謳歌する、ハイドンの姿が重なって聞こえます。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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