2021年 7月 27日 (火)

パラ6大会連続出場の鉄人 車いすテニス・齋田悟司が挑む限界突破【特集・目指せ!東京2020】

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国枝慎吾選手とは仲良いですか、と聞かれて

――国枝選手とは共にアテネで金メダル、2008年の北京大会と前回のリオ大会でも銅メダルを取っています。年齢やキャリアを重ねるなかで、ダブルスのコンビネーションはどのように成長したのでしょうか。

齋田 彼もここ(千葉県柏市の吉田記念テニス研修センター)のテニスクラブに通っていることもあり、二人でかなり一緒に練習できていました。パートナーが遠方に住んでいたら、なかなか練習できないじゃないですか。そこは私達のアドバンテージだったと感じています。
ダブルスは、パートナーがどういうプレーをしたいかというのを、コミュニケーションをとって把握します。ただ、私達の場合は長く一緒に練習を積めたので、「こうしたいんだな。じゃぁ先に僕はこうしよう」といったプレーができていたと思います。

――「仲良いですか」とか、聞かれたりしますか。

齋田 初めて聞かれました(笑)。年齢も一回り離れていますし、彼が私をどう思っているか分からないですけど、私は好意的に思っていますよ(笑)。でも、仲悪いとダブルスはうまくいかなくなるのではないでしょうか。

――パラリンピックが東京開催に決定した時、特別な思いはありましたか。

齋田 私はアテネパラリンピック以降、大会が終わるまでは次のことを考えず、「この大会が最後だ」という気持ちでプレーしてきました。なので、東京パラリンピックが決まった瞬間に意識したというのはなく、次の大きな大会が東京パラリンピックになった時に実感が強まりました。今は東京大会のことしか考えていません。

――最後に東京パラリンピックへの意気込みをお願い致します。

齋田 自分が頑張るという意味では、場所がどこでも変わらないとは思います。ただ、自分が生きている間にパラリンピックが自国で開催されるのは、一度だけになる。そういった意味で、応援してくれる日本のファンに車いすテニスをアピールできる大きなチャンスですし、適当なプレーを見せてしまえば、つまらないスポーツだと思われてしまう。「車いすで、ここまでできるんだ」というのをお見せしたいですし、個々がイメージする車いすの競技の限界を超えたプレーで魅了したいですね。

齋田悟司(さいだ・さとし)
1972年生まれ、三重県出身。
12歳の時に骨肉腫により左下肢を切断、車いす生活に。1996年のアトランタ大会から6大会連続でパラリンピックに出場。2004年のアテネ大会では国枝慎吾選手と組み男子ダブルスで金メダル、2008年の北京大会では男子ダブルスで銅メダルを獲得した。2016年、自身通算6回目となったリオデジャネイロ大会にて、国枝選手との男子ダブルスにて再び銅メダルを手にした。
2003年には国際テニス連盟(ITF)選出の「世界車いすテニスプレーヤー賞」を日本人選手として初受賞するなど、日本を代表するプレーヤー。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。
著作に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)、プロデュース作品に久保竜彦が出演した『弾丸シュートを蹴る方法』(JVD)がある。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』の版元でもある。

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