2024年 4月 19日 (金)

楽譜は何を伝えているか(13)

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   音楽を記す方法は世界各地にありましたが、いずれも完全とは言い難いスタイルのもので、11世紀イタリアで発明された、現代につながる「楽譜」は、やはり一頭地を抜く発明でした。後に五線譜となる複数本の線を引くことによって、相対的でなく、絶対的な音の高さを示すことができ、曲を知らなくても旋律を楽譜のみから再現することができました。リズムやテンポも次第に記すことが可能となり、「これさえあれば、曲の学習に、その曲を熟知している指導者が必ずしも必要ではない」という段階まで来ることができたのです。

  • 簡単な音を重ねる歌の音楽は、響きがオルガンに似ているからということで『オルガヌム』と呼ばれた。写真は、バッハのオルガン曲で最も有名な、衝撃シーンなどで流れる『トッカータとフーガ』冒頭の楽譜。楽譜がなければ、この名曲も現代に伝わらなかった
    簡単な音を重ねる歌の音楽は、響きがオルガンに似ているからということで『オルガヌム』と呼ばれた。写真は、バッハのオルガン曲で最も有名な、衝撃シーンなどで流れる『トッカータとフーガ』冒頭の楽譜。楽譜がなければ、この名曲も現代に伝わらなかった
  • 簡単な音を重ねる歌の音楽は、響きがオルガンに似ているからということで『オルガヌム』と呼ばれた。写真は、バッハのオルガン曲で最も有名な、衝撃シーンなどで流れる『トッカータとフーガ』冒頭の楽譜。楽譜がなければ、この名曲も現代に伝わらなかった

「音を重ねる」という音楽の進歩を導き出した

   では、その楽譜が音楽に逆に与えた影響はなんだったか? 記憶だよりだった音楽を記すことが可能になったため、より長時間の曲が作られたり、口伝だと途中で改変される可能性があるものを、紙に記すことによって保存できるわけですから、「作曲」の重要性が高まりました。

   しかし、おそらく、欧州発の楽譜の最大の功績は、「音を重ねる」という音楽の進歩を導き出したことでしょう。口伝で音楽を伝えていた時代は、音楽はほぼメロディーだけの単旋律の単純なもので、伴奏があったとしても、とてもシンプルなものだったはずです。複雑なものを記すことができるようになったからこそ、「作曲家」は、メロディーを工夫する「横方向」の工夫だけでなく、音を重ねる「縦方向」にも気を配れるようになったのです。そんな複雑な音楽は、従来なら「覚えきれない」として敬遠されてきましたが、なにしろ「記すことができる」わけですから、多少の複雑さは許容されたのです。

   ところが、これも、一筋縄ではいきませんでした。つまり、現代の「ハーモニー」に到達するまでには、気が遠くなるような長い時間がかかったのです。

「完全5度」の試み

   実は楽譜が発明される200年ぐらい前から、教会の合唱音楽において、現代で言うところの「オクターヴ」で音を重ねることが試みられていました。「オクターヴ」の語源は、ラテン語で数字の8を意味する「Octo」(八本足のタコ「オクトパス」も同じ語源です)から来ており、当時のオクターヴが8音で構成されていたことからこの名前で呼ばれておりました。つまり、「ド」と一つ上の「ド」のように、同じ音だが音の高さが違う音を重ねるという歌い方で、おそらく大人の合唱団員と、変声前の少年の合唱隊などで、ハモっていたと思われます。ちなみに現在ではオクターヴは12音に分割されています。

   そして今では「ユニゾン」と呼ばれるオクターヴ違いの音を重ねるこの技法は、我々が想像するより長く、具体的には200年ぐらい、続けられたようです。誰も「他の音を重ねてみる」ということに積極的に踏み出さなかったのです。それほど「単旋律」の音楽は支配的でした。

   しかしようやく、「ある一定の別の音を重ねても響きがおかしくならない」ということに気づき始め、現在の音楽用語でいうと、「完全5度」といわれる、オクターヴ以外では一番奇麗にハモって聞こえる音程関係の音を組み合わせて歌う試みが行われます。

   完全5度は「ド」に対して上の「ソ」の音、下に完全5度を取れば「ド」に対して「ファ」の音となりますので、「ファ」を上に持ってきた場合は「ド」に対して「完全4度」と呼ばれます。この「完全4度」と「完全5度」の音程関係は、「重ねても響きが美しい音程関係」として、広く採用されるようになります。このあたりの音律に関しての分析は、古代ギリシャの時代にすでに行われていましたが、中世の欧州は、改めてその音程関係を「発見」したのです。

   音は自然現象ですから、人間が発見する前から物理法則として「協和する音程」は存在していたのですが、それを「美しい音程」として認識して音楽に取り入れるのは、数百年もかかったのです。音楽のほんの少しの発展にこれだけ長い時間がかかったのは、楽譜が存在していなかった、というのが1つの大きな原因です。

ドローン(動かない人)とチャンター(歌う人)

   1つのメロディーに対して、オクターヴの音程関係や、完全5度の位置にある音を即興的に加えていく・・オルガヌム、といわれるよばれる技法が9世紀ごろから盛んになります。

   同時に、主メロディーに対して、一緒に動くのではなく、動かない、ずっと持続する音を付け加える、という音楽も試されました。同じ音をずっと伸ばす・・というのは歌で行うとものすごく退屈なので、このパートは楽器で演奏されることが多くなりました。いまでも、「動かない1つの音を伴奏に、上でメロディーが自在に動く」という形式は、バグパイプの音楽などに残っています。

   同じ音高で持続する音は「ドローン」とよばれましたが、バグパイプの通奏管はまさに「ドローン」と名付けられています。現代の無人飛行物体「ドローン」は動き回るので、ちょっと対象的なネーミングです。ちなみに無人機の「ドローン」の語源はオスの蜂で、羽音にプロペラ音が似ているから、というものだそうです。バグパイプの旋律を吹く方の主唱管は「チャンター」と呼ばれています。チャンターはチャントする人、すなわち「歌う人」ですから、ドローン(動かない人)とチャンター(歌う人)というネーミングに、中世の「楽譜誕生前後の多声部音楽」の名残がみられるのです。

   そんな、「ハーモニーの黎明期」に、楽譜は発明されたのです。当然、多声部音楽は更に複雑化します。そして、単に「2つのメロディーを重ねる」という音楽から、「ハーモニーでメロディーを伴奏していく」という今日我々が耳にするほとんどの音楽スタイルを作り出すことになります。

   楽譜の発明という革命が、本格的なハーモニーの誕生という革命を後押ししたのです。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール
私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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