大晦日に聴きたいオペレッタ「こうもり」 ウィーンを代表する楽しい作品

   ヨハン・シュトラウス2世、というと「ワルツ王」の名で呼ばれ、たくさんのウィンナ・ワルツを作曲して、「会議は踊る」の熱狂をウィーンの老若男女に提供した作曲家・指揮者・ヴァイオリニストです。

   彼のワルツやポルカといった作品は、世界的に有名なウィーン・フィルのニューイヤーコンサートのメインプログラムとなっているため、「新年にふさわしい作曲家」とも言えますが、実は、大晦日にも彼の作品は頻繁に演奏されます。

   それが今日の1曲・・・といっても全3幕で2時間半も上演時間がかかる大規模な作品ですが・・・・オペレッタ「こうもり」です。

   このオペレッタはオーストリアのイシュルという温泉地が舞台で、1874年の大晦日のとある舞踏会、という設定がされているため、大晦日に、特に音楽の都ウィーンで必ずと言ってよいほど上演されます。日本の「第九」のようなオペレッタなのです。

音楽もウィーン風なら舞台装置もウィーン世紀末を意識させるものが多い・・写真はニューヨークのメトロポリタンオペラ
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わずか6週間で「こうもり」を作曲

   もともと、活躍する父の楽団で腕を磨き、そのうち父と対立するような形でデビューしたヨハン・シュトラウス2世は、活躍のフィールドがウィーンのカフェ・ハウスや舞踏会場といったところで、歌劇場には縁が薄かったのです。ワルツやポルカで、父をも抜いて超一流という名声を博していたシュトラウス2世でしたが、喜劇要素を膨らませたオペラであるオペレッタでは、遠くフランスの地では「天国と地獄」で有名なオッフェンバックが活躍し、地元ウィーンでも、スッペなどが活躍し始めていたので、その中に入ってゆくのは勇気がいることだったのでしょう。

   特に、オペレッタの創始者とも言ってよいオッフェンバックは、活躍したのはパリでしたが出身地はドイツでしたので、たびたび自分のオペレッタのドイツ語版を携えてはウィーンに公演にやってきていたのでした。

   しかしついに、地元の劇場の支配人や、ほかならぬオッフェンバック自身の勧めなどがあり、ワルツ王・シュトラウス2世も、オペレッタを書き始めることになったのです。

   初めのほうの作品はヒットしたと言えない出来で、人々の記憶から遠ざかりましたが、フランスのアンリ・メイヤックとルドヴィック・アレヴィという、オッフェンバックのオペレッタ「美しきエレーヌ」やビゼーの大ヒットオペラ「カルメン」の台本を手掛けたコンビによる原作、「夜食」のドイツ語版と出会ったシュトラウス2世は、わずか6週間で、「こうもり」をほぼ作曲し終えた、と言われています。1874年のことでした。

   序曲から終曲にいたるまで、ウィンナ・ワルツの王ことシュトラウス2世が手掛けた軽快かつ優雅な曲の数々が続き、登場人物も多く、それぞれ見せ場があり、内容的には、仮装舞踏会に集う下心ありの人々のユーモアあふれる恋の駆け引き・・といった他愛のない物語ですが、いかにもウィーン風の香りをたたえたこのオペレッタは、大人気となり、ウィーンを、そしてベルリンなどドイツ語圏を、さらにはオペレッタを代表する作品となったのです。

ウィーン風の大晦日気分を味わえること間違いなし

   パリで生まれたオペレッタは、初期には本格的なオペラとは厳格に区別され、オペレッタ専用の劇場などでしか上演されませんでしたが、「こうもり」はあまりにも素敵な曲が多く、さらに大ヒットしたため、ウィーン歌劇場をはじめ、ドイツ語圏の主だったオペラハウスでも上演されるようになり、「オペレッタ」と「オペラ」の壁をなくしてしまった、という功績もありました。

   長いオペレッタですが、現代でも上演が途切れることはなく、また、コンサートでも、序曲だけだったり、アリアだけだったりと抜粋でもよく演奏されます。最後の大団円では、「みんなシャンパンのせいさ!」と一同が楽しく歌うシーンがあるのですが、これを聴けば、ウィーン風の大晦日気分を味わえること間違いなしです。

   どうぞ軽快な「こうもり」の曲とともによいお年をお迎えください!

本田聖嗣

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