言葉は生き物 サンキュータツオさんが論じる「忖度」の黒印象

   サンデー毎日(11月13日号)の「現代を読み解くコトバ」で、学者芸人のサンキュータツオさんが、時代とともに変容する言葉のダイナミズムについて論じている。

   サンキューさんは46歳。早稲田在学中からお笑いコンビ「米粒写経」で活動、大学院に進んで日本語を究め、広辞苑の編さんにも携わったコトバの専門家だ。

「長らく意味が定着して変わらなかった言葉が、社会的な状況もあって変化する瞬間、日本語に携わるものたちは静かに興奮する」

   言葉は生き物というが、実際、ある言葉の意味合いが大きく変わることがある。最近の事例から、筆者がまず挙げたのが「忖度」である。

   「相手の気持ちを推しはかる」という意味の漢語的表現が「政治スキャンダル」絡みで使われ、メディアが広めたことで、後ろ暗いニュアンスを帯びたのだ。権力者の意向を汲んで先回りして行動に移す...時には法を曲げ、人の道に背いてまでもと。

「取り計らうという行動まで含めると『斟酌』のほうがふさわしかったのかもしれないが、そんなことは言葉を使っている人たちは考えない。日本語に関しては日本人が一番鈍感なのである。だからこそ、新語や新しい意味が日々生まれもする」

   例えば「あした」という言葉。朝とか翌朝という意味がいつの間にか「翌日」という意味になった。「あながち」も、強引、身勝手、異常なまでにといった意味は薄れ、「必ずしも」という意味に絞られてきたという。

難読漢字としてはそこそこ知られてはいたが…
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誤用にときめく

   サンキューさんが「静かに興奮する」のは、言葉が変化する場面に立ち会った時だけではない。誰かの誤用をリアルタイムで見聞きした瞬間も「心ときめく」そうだ。

   固定観念を固定概念と言っている人がいると「いいもん見たなぁ、今後も増えるだろうなぁ」と思う。「お聞きする」という「敬語」を耳にした時も同じである。

「決して人の間違いを意地悪く楽しんでいるのではなく、活きたサンプルを目の当たりにしたときの喜びだ。その反面、使ってもらえなかった『うかがう』を気の毒に思う」

   相手の話を聞く、という意味の謙譲語は本来「うかがう」である。それが「お聞きする」に取って代わられようとしているらしい。

「ああ、『うかがう』君、いま服着替えて準備していたのに、出番なかったね、ごめんね、みたいな気持ちだ。活躍の場を失いつつある『固定観念』くんや『うかがう』くんの気持ちを忖度する」

   こうつないで、話は「忖度」に戻る。

「長く生きているだけで、年齢と地位が自分の実感を追い抜いていく。昔とおなじ感覚で生きていても、自然と忖度の対象になってしまう危険を自覚しなければならない。その自覚を持つことが、きちんと年を重ねるということだろう」

   サンキューさんは若い頃、よく「生意気」と言われたそうだ。

「周りからすると『忖度しろよ』という意味だったのだろう。自覚をもった大人だけが、『生意気』を喜んでくれた。あの大人たちの気持ちがいまわかる。ついでに、私はいまだに生意気だ」

早い者勝ち

   サンキューさんの連載は10月に始まり、本作が4回目。これまで「エモい」「雑誌」「タイパ」と取り上げてきて、今回が「忖度」という流れである。

   さて忖度という言葉、難読漢字の世界では知られていたものの、ニュースの見出しや日常会話に登場し始めたのはここ数年か。言葉としてのメジャーデビューである。

   サンキューさんが編集に参加した広辞苑によると、〈他人の心中をおしはかること〉とある。一方、類語として筆者が触れた斟酌は〈その時の事情や相手の心情などを十分に考慮して、程よくとりはからうこと。手加減すること〉である。なるほど、忖度より「ふさわしい」というのも理解できる。「推し量り+取り計らう」のである。

   忖度か、斟酌か。そんなことは使う側の知ったことではない、とサンキューさんは考える。ソンタクのほうを上記の意味でたまたま誰かが使い、メディアが広めたから定着しただけのこと。大衆は常に辞書を持ち歩いているわけではない。早い者勝ちである。

   「日本語に関しては日本人が一番鈍感」という指摘に改めてうなずく。そのいい加減さこそが、新語や新用法が生まれるエネルギーをもたらすという洞察にも納得。「日本語に携わるもの」を自任するだけのことはある。忖度抜きで、そう思った。

冨永 格

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