2024年 4月 27日 (土)

学生数30年で1.5倍 でも「M&A」とは違う
(連載「大学崩壊」第10回/立命館大学に聞く(下))

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   ロースクール、映像学部、生命科学部と薬学部――。立命館はここ数年、「膨張」の度合いが加速しているようにも見える。なぜなのか。学校法人立命館総合企画室長の建山和由さんと総合企画部長の今村正治さんに聞いた。

「何人合格を出すのか」に悩む

立命館の今後の方針について語る学校法人立命館の今村正治・総合企画部長(左)と建山和由・総合企画室長(右)
立命館の今後の方針について語る学校法人立命館の今村正治・総合企画部長(左)と建山和由・総合企画室長(右)

――一この15年ほどで、「キャンパスが拡大している」という声も多いですね。その象徴的な例が、00年に大分県に出来た立命館アジア太平洋大学(APU)です。当初は「留学生を沢山集めるのは無理。絶対失敗する」という声もありました。ところが、フタを明けてみれば学生のうち4割が留学生という状況で、成功しているようにも見えます。

今村: 7年近くAPUにいましたが、我々が掲げた理念が共感されたことが最も大きかったと思います。立命館の首脳部が構想を平岩外四さん(元経団連会長、故人)に相談した時「こういう大学は、本来は国が作るべき。それを、一私学が地方自治体と組んでやろうとしている。応援する」とのお言葉もいただきました。開校直前には、アジアの金融恐慌の影響も受けたのですが、それでも40億円以上の寄付が集まったのは、アイデアが非常に大胆で、先見的だったことが大きいと思います。ミッションがはっきりしていたのですね。
   もう一つは、場所です。当初は、別府の山の中に作ったことについては、現場担当者としては「このような場所でやっていけるのか」と思いました。しかし、「勉強する」という環境ができたのは大きかった。これは、博多の街中では無理でしょう(笑)。
   住民の協力が得られたのも成功要因ですね。10周年を間近に控えて、「より卓越した国際大学は何か」を追求していく予定です。

――一06年には法科大学院(ロースクール)、07年には映像学部、08年春には、生命科学部と薬学部もできました。ここ数年、「拡大」の度合いが加速しているようにも見えます。

今村:そうでもないですよ(笑)。近時の改革は学部・学科の再編を進めているのが特徴です。「拡大・膨張主義」と言われることもありますが、「拡大ありき」ではありません。新しい教育・研究領域を創造していきたいということがまずあるのです。それを「どのようなシステムでやるか」を検討してきた結果です。BKCのような「拡充移転」です。確かに、学生数(学部生)を見ると、1979年で約2万2000名ですが、今はAPUを含めると約4万2000名程度です。30年で1.5倍になっています。それだけ見れば「拡大」に見えるのですが、「ふくらし粉」ではなくて、中身も伴っている、ということです。

――一「拡大」と言えば、08年の生命科学部の入学定員超過問題がありましたね。何故起こってしまったのでしょう。

今村:そもそもは歩留まりの見誤りですね。志願者が9000人を超えたのですが、合格者のうち、実際に何人入学するかを見誤ってしまいました。私学助成がもらえなくなる(入学者が定員の)1.4倍という数値を超えないために行った(他学部への転籍をさせようとした)措置が「適切さを欠く」として批判を浴びました。このことは、学園運営のありように問題があったとして厳しく受け止め、総括と反省を行っています。
建山: 「何人合格を出すのか」というのは、非常に悩みます。東大さんや京大さんであれば、100人合格を出せば、その大半が入学してくれるのですが、うちではそうもいかない。2割なのか15%なのか、読めないのです。特に今回は新学部で、「何人合格を出すと何人入学する」という過去のデータがなかったことも大きかったですね。ただ、担当者からすると、欠員が出ると、「立命館は新しい学部を作ったけれども、集まらなかった」ということになるので、欠員を出すことは一番避けたいと思っています。

「助けてくれませんか」という声にどう応えるか

――一中高一貫校についても聞かせて下さい。「学部生のうち、20%を中高一貫校出身者にしたい」という目標があるそうですね。その狙いについて聞かせて下さい。

今村: 元々、1979年時点では、付属校は1校しかありませんでした。それが今では小学校を含めると5校になります。立命館の名前を冠したクラスを持つ「提携校」も4校あります。
   ここまで増えた経緯なのですが、他の高校を買収したことは1回もありません。かつて週刊誌に「M&A」と書かれて気分を害したことがあったのですが・・・(苦笑)。
   私学というのは人材育成が大きなミッションですので、「中・高・大」という一貫教育の流れで人材育成したい、という思いがあります。学園全体で帰属意識を高めるのにも寄与すると考えています。
   ただ、「付属校を増やすために血眼になって、探している」ということでは、決してありません(苦笑)。現在の付属校についても「運営をお任せしたい」と話があって合併に至ったものがあり、経緯が異なるのです。
   例えば立命館宇治高校・中学校については、「運営をしていただけませんか」ということでお話をいただいたという経緯がありますし、立命館慶祥高校・中学校は、「運営者が高齢なので厳しい」といった経緯で、運営が立命館に移ってきたのです。

――一岐阜市立岐阜商業高校を立命館に移管する件、市議会で頓挫しました。どう受け止めていますか。

今村: 岐阜市との話し合いの中で、「市立岐阜高等学校の立命館への移管 付属校として09年春開校」ということで提案をさせていただきました。ところが、岐阜市議会の状況で、計画が頓挫してしまいました。私たちとしては、「残念」というところです。ただ、議会を二分するほどの議論を呼んで、世論としては7~9割が立命館誘致に賛成だったと聞いています。非常に熱心な誘致運動をしていだいたことも存じ上げています。このことは、非常に有り難いことだと感じています。しかし、これは議会の意志ですから仕方がありません。

――一これから、週刊誌が言うところの「M&A」が増えていくという可能性はありますか。

今村:大学を持たない私学の中高や、公立中高の統廃合のなかで、「この部分は私学で運営して欲しい」という提案はあるのではないかと思っております。しかし、当初の目標としていた「付属校・提携校の学生の占める割合20%」は、ほぼ達成しつつありますので、従来の計画とは違ったアプローチが必要だと思っています。全国からの「立命さん、助けてくれませんか」という声にどう応えるかは考えないといけないのですが、手当たり次第に数を増やすということは考えておりません。

建山和由さん プロフィール
たてやま・かずよし 学校法人立命館総合企画室長。1980年京都大学工学部卒業、85年京都大学工学研究科土木工学専攻博士単位取得満期退学。85年京都大学工学部 助手、京都大学工学部講師、京都大学工学部 助教授を経て、2004年 立命館大学理工学部教授。08年には、立命館大学教学部長、09年 立命館大学総合企画室長。

今村正治さん プロフィール
いまむら・まさはる 学校法人立命館総合企画部長。1981年立命館大学文学部卒業、学校法人立命館入職。学生課長、立命館アジア太平洋大学開設準備課長、APUスチューデントオフィス課長、APU事務局次長(学生・入試担当)、APU副事務局長、学校法人立命館財務部長、総務部長を経て、2009年 総合企画部長。

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