政府は2013年2月28日、日銀正副総裁の人事案を衆参両院の議院運営委員会に提示した。現副総裁2人の任期に合わせて白川方明総裁が辞任する3月19日までに、アジア開発銀行(ADB)総裁の黒田東彦・元財務官(68)を総裁とする新体制が発足する見通しだ。「元々、本命ではなかった」(財務省筋)という黒田氏が、なぜ新総裁に上り詰めることになったのか?
黒田氏を支える副総裁候補は、岩田規久男・学習院大学教授(70)と日銀プロパーの中曽宏理事(59)。財務省OBの総裁に学者と日銀プロパーの副総裁という意味では、バランス人事だ。
当初は「財務省OBの総裁はないだろう」
今回の人選のスタートラインは言うまでもなく「アベノミクス」。12年末の総選挙期間中から始まった円安・株高の「安倍相場」の核心が「金融政策のレジームチェンジ」という超積極緩和だからだ。
もうひとつの大きな判断材料が「出自」。自民党が選挙に勝利した当初は「財務省OBの総裁はないだろう」(金融筋)との見方が少なくなかった。大きな理由が衆参の「ねじれ」。5年前、政権獲得前だったとはいえ、民主党が財務省OBの総裁候補を参院で次々に葬った記憶が生々しいうえ、今回、参院の過半数に与党が16議席足りない中で連携先の本命だったみんなの党(参院で12議席)が、「財務省OBはノー」を明確にしていたからだ。
この流れを変えたのが麻生太郎副総理兼財務相兼金融相。12年末から、「組織を動かせる人が望ましい」との表現で、財務省OB起用に道を開いた。「参院選で勝つためには、今の経済好転の方向を崩さない「安全運転」も大事で、財務省OBがやはり頼りになる、との判断になるのではないか」(経済産業省筋)との見方も根強かった。
ただ、安部晋三首相が「麻生氏とタッグを組んで黒田氏起用を進めたというほど単純な話ではなかった」と、関係筋は解説する。安倍首相は衆院選最中から黒田氏とも接触し、アドバイスを受けていたというが、「総裁候補の本命というわけではなく、候補の一人として感触を探ったようだ」(大手紙経済部デスク)。
年が明け、国会同意の見通しをにらみながら、慎重に人選の詰めが行われた。民主党の動向がはっきりしない中、政権がまず意識したのがみんなの党。その渡辺喜美代表は2月初旬、銀総裁の候補として岩田規久男氏と浜田宏一・米エール大教授(77)、竹中平蔵・慶大教授(61)ら5氏の名を挙げた。
財務省は武藤敏郎・元次官(69)が本命
この中では岩田規氏が同党の意中の人と見られたが、麻生氏らが「学者はダメ」と岩田規氏に反対。代わりに同じ緩和派の論客で安倍首相述ブレーンの一人、旧経企庁出身の岩田一政・元副総裁(66)=日本経済研究センター理事長=を推す声が出たというが、みんなの党は「日銀が2006年に量的緩和を解除する大失敗を犯した時に解除を主張した人物では務まらない」(渡辺代表)と拒絶し、日の目を見なかった。
財務省サイドの対応も微妙だった。そもそも、「下手に動けばマイナスばかり」(有力次官OB)と、慎重だったのは当然だが、黒田氏起用には大きな障害があった。2011年秋ADB総裁に再選されたばかりで任期は3年半も残り、途中辞任すると「発足以来維持してきたADB総裁ポストを中国に奪われかねない」との懸念が財務省内で強かった。
財務省としては元々、5年前に副総裁からの昇格を参院で否決された武藤敏郎・元次官(69)=現大和総研理事長が本命。黒田氏が主流の主計畑でなく、現役時代から日銀批判の急先鋒という「他の役所を露骨に批判しないという財務官僚らしくない人」(財務省OB)という事情もあった。しかし、武藤氏は、「民主党が野田佳彦前政権で財務省と関係修復したといっても、5年前に拒否した人は認めがたい」(民主党関係者)ことから、候補から落ちた。
G20財務相・中央銀行総裁会議が転機
黒田氏に「追い風」になったのが2月15、16日の主要20カ国・地域(G20)財務相・中央銀行総裁会議だった。ここで、アベノミクスに対し新興国から「円安誘導」との批判が噴出、共同声明は名指しの日本批判は回避したものの、通貨安競争をしないことを確認した。これを受け、安倍首相は20日の参院予算委で「国際金融の世界はインナーサークルを形成している。その中に入って発信もできるし説得もできる能力を持った人が今こそ必要だ」と、国際性重視を明確にした。黒田氏は2003年に財務官を退任した後、小泉政権の内閣官房参与を務め、株価7000円割れといった危機の最中に各国金融当局と水面下で話し合うなど活躍。当時、官房副長官だった安倍氏に強い印象を与えたといわれる。