2024年 4月 26日 (金)

精密機械業

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現状

世界市場で高いシェアを確保

  カメラ、ウォッチ、クロックなどの時計、OA機器、医療機器、精密計器など精密機械業界は、従業員数約16万人、製品出荷額約4兆円と、自動車、エレクトロニクスなどに続く日本の基幹産業の1つとなっている。また、カメラ、時計などは1960年代から輸出市場に進出、世界マーケットを制覇するなど世界でもリーディング業界の地位を占めている。最近でも複写機分野では、モノクロからカラー化、さらには多くの機能を搭載した複合機へのシフトが進むなか、米ゼロックスを抑えてキヤノンリコーが世界マーケットの40%以上を確保、プリンタでもキヤノン、セイコー(旧服部時計店)グループのセイコーエプソン(旧諏訪精工舎)が世界をリードしている。さらには2002年、世界出荷台数2455万台と従来の銀塩カメラを抜いたデジタルカメラ部門でも、エレクトロニクスのソニーと並んでキヤノン、オリンパス光学工業富士写真フイルムニコンカシオ計算機ペンタックスなど精密機械メーカーが市場をほぼ独占している。半導体、液晶、パソコンなどエレクロトニクスメーカーが韓国や台湾メーカーの追撃でシェアを大きく落とす一方で、精密機械業界は自動車と並んで世界のリーディング産業の地位を確保している。

Transition of production and export of Japanese precision machine

キヤノン、富士写真、リコーの3強にコニカミノルタが挑戦

  精密機械業界の企業の多くは、カメラ、時計を出発点として成長、その後、多角化によって成功した企業によって構成されている。なかでも複写機、レーザービームプリンターで成功したキヤノン(2003年度売上高3兆1980億円)、写真フィルムのトップメーカーである富士写真フイルム(同2兆5603億円)、複写機などOA機器大手のリコー(同1兆7802億円)が3強を形成。続いてインクジェットプリンタで国内トップ、世界2位のセイコーエプソンが売上高1兆4132億円と2位グループをリード、以下、一眼レフカメラやステッパー(半導体露光装置)大手のニコン、内視鏡世界1位のオリンパス光学工業、デジタルカメラやTFT液晶に強みをもつカシオ計算機、光学・電子材料で高シェアをもつHOYAなどが続いていた。だが、2003年、3番手グループだったコニカとミノルタが持ち株会社のコニカミノルタホールディングスとして合併、2004年度の売上高は1兆11450億円とキヤノン、富士写真フイルム、リコー、セイコーエプソンに続く1兆円企業となる見通しだ。新会社では、複写機、プリンタを中核事業の1つとして位置づけ、シェアの拡大を図る方針だ。3強中心の業界地図が今後大きく塗り替えられる可能性も出てきている。

歴史

西ドイツを抜き世界1のカメラ大国に

  カメラ、ウォッチ、クロックなど精密機械業界は、第2次大戦後、技術革新の成功によって瞬く間に世界のトップに踊りでることに成功している。カメラの場合、朝鮮戦争をきっかけとして占領軍向けの需要が増大が増大する一方、内需が拡大。1950年に50社だったカメラメーカーは、1953年には100社に迫るまで増加した。朝鮮戦争後の不況のなか、小企業は淘汰されることになったが、理研光学工業による低価格カメラ「リコーフレックスⅢ型」の登場によってカメラブームが到来、大衆向け耐久消費財としての地位を確立した。また、カメラが奢侈品から大衆消費財へと変化するなか、熟練労働に依存した少量生産から機械化と自動化による大量生産方式に移行し、国際的な競争力を強化している。

Transition in production and export of still cameras of Japan

  1960年代から始まった高度成長時代に、こうした努力が開花する。1950年代、輸出市場では日本製のカメラは当時世界1位の西ドイツ製に比べて2分の1程度の価格で、代替品として買われていたが、1960年代には性能面でも向上、1964年には輸出金額、1967年には輸出数量で西ドイツを上回り世界1位のカメラ大国となった。

マイコン搭載の一眼レフでキヤノンが躍進

  1970年代に入ると、電子工学技術の導入によってカメラの自動化、軽量化、低価格化が進行、カメラ業界での再編が起きた。なかでもそのきっかけとなったのが1976年、キヤノンが発売した一眼レフ・カメラの「AE-1」の登場だ。AE-1は、世界で初めてマイクロコンピューターを搭載して露光を完全に自動化、製造面でも電子制御した機器を導入して画期的な自動化と省人化を実現している。AE-1の登場によって、各社が電子制御機能を搭載した新型カメラを相次いで投入、競争が激化する。1970年代半ばまで一眼レフ市場で優位を保っていた「ペンタックス」で知られる旭光学工業、「ニコン」の日本光学工業という高級カメラは地盤沈下、代わってキヤノン、オリンパス工業が成長を遂げた。また、技術革新の対応に遅れたメーカーは経営不振が表面化、1975年に外資系のミランダカメラ、1977年にペトリカメラが倒産したのに続いて、1983年にはヤシカが京セラに支援を要請して吸収合併、マミヤ光機も大沢商会破綻の余波で倒産、1993年にはオリンピックに吸収され、マミヤ・オーピーとなった。

クオーツ革命を契機に時計も世界1位に

カシオの電波時計では感度・SN比特性に優れた検波ICを使用。また受信アルゴリズム(データ解析)も最適化し、受信効率を上げている。
カシオの電波時計では感度・SN比特性に優れた検波ICを使用。また受信アルゴリズム(データ解析)も最適化し、受信効率を上げている。

  ウォッチ、クロックなど時計も、朝鮮戦争を契機とした好況のなか、急速に回復を遂げた。1947年に160万個だった生産量は、49年には306万個、50年はドッジ・ラインの影響で一時落ち込んだが、1954年には560万個と戦前の水準を上回っている。高度成長時代にはカメラと同様、輸出を中心として成長を遂げた。国内市場は1960年の690万個から1964年に1010万個に達し成熟化、一方の輸出は1960年から1966年まで年率8割以上のペースで拡大、1972年には輸出比率は66%にも達した。
  その後、日本の時計業界が世界に躍進するうえで大きな転機となったのが、「水晶転換」だ。時計は1960年代、電気と電子制御によって時間を計測する電子時計の開発が進められてきたが、1969年に諏訪精工舎が世界で初めて水晶で制御するクオーツ(水晶発振)式電子時計を商品化、時計はクオーツの時代を迎えた。1970年代後半には水晶転換による技術革新と設備投資を積極化した結果、日本の時計業界は優位性を確保、1980年にはウォッチ生産量は8789万個とスイス、クロック生産量でも5896万台と西ドイツを抜いて世界1位の時計大国となった。また、水晶転換による技術革新によって業界の再編も進んだ。1974年にデジタル式時計でカシオ計算機が参入、市場が飽和するなか、リコー時計オリエント時計などは地盤沈下、服部セイコーを中心とするセイコーグループシチズン時計、カシオ計算機による寡占化が進展した。

複写機など多角化も進む

  1960年代の高度成長期からカメラ、ウォッチ、クロックなど時計の成長とともに精密機械業界では、事務機器、計測器など多角化も進んだ。なかでもその先駆け的存在となったのが、現リコーの理研化学工業だ。1955年に小型卓上複写機の製造・販売を開始したのに続いて、印画紙を用いるジアゾ式複写機、EF式複写機を相次いで投入。1971年にはオフィスコンピュータ、1973年にはファクシミリにも進出した。また、1963年には富士写真フイルムも英ランクゼロックスと合弁で富士ゼロックスを設立、複写機市場に進出した。1960年代、複写機はジアゾ式やEF式が主流で普通紙はゼロックスが独占していたが、1968年にはキヤノンが独自方式で複写機に参入を実現、1971年には小西六写真工業(現コニカミノルタ)も今の主流となったPPC複写機に進出した。

  その後も多角化の勢いは衰えず、プリンタ、スッテパー、医療用機器などにも展開。なかでも多角化が進んだキヤノンの場合、1990年度の売上高構成比は、カメラが18.9%に対してその他光学機器が5.6%、事務機が75.5%まで成長するなど、精密機械メーカーは光学、精密加工組立、電子という3つの技術を融合して、単なるカメラメーカーから画像・映像の記録と通信を中心とする総合的なメーカーへと転身を遂げている。

90年代にレンズ付きカメラが登場、主流となる

  1985年の円高を契機として、精密機械業界は大きな変革期を迎えることになる。銀塩カメラ、時計とも高度成長期を終え成熟段階に入っていた上、円高が収益を圧迫。海外での現地生産を進めたものの、大きな助けとはならなかった。バブルが崩壊した1990年代にはカメラ市場は1眼レフなど高級品やコンパクトカメラなど中級品に代わって、レンズ付きカメラが登場、マーケットの主流を占めるようになった。1996年には、装填が簡単なカートリッジ式フィルムを使用して小型で軽いことを売り物としたAPS(新写真システム)規格カメラが登場したが、期待はずれに終わっている。
  一方、時計もマーケットの成熟化、円高を受けて生産量は減少。1990年代初めにはアナログ回帰やTPOに応じて1人が複数個を所有する傾向が生まれ、一時、国内市場は回復することがあったが、その後は縮小に向かった。カメラ、時計メーカーともOA機器情報機器への多角化を強化したが、キヤノンが複写機、レーザービームプリンタなど非カメラで業績を伸ばす一方、多角化に失敗した企業とは格差が拡大。キヤノンを中心として富士写真フイルム、リコーが3強を形成する形となった。

将来を展望するための3つのポイント

ポイント1
「ポスト・デジタルカメラ」は開発できるのか

極めて正確な原子時計に基づいて送信される標準電波を受信し、時刻を自動的に補正する電波時計
極めて正確な原子時計に基づいて送信される標準電波を受信し、時刻を自動的に補正する電波時計

  1990年代後半に登場したデジタルカメラは、瞬く間に成長を遂げ、2001年には545億円と出荷金額、2002年には2455万台と台数でも銀塩カメラを抜き、精密機械業界で最大のヒット商品となった。続く2003年も世界の出荷台数は4341万台にまで拡大した。だが、日本メーカーが普及機から1眼レフなど高級機を相次いで投入した結果、早くも過当競争が発生。2004年については出荷台数こそ増加しているものの、各社とも当初の販売計画を下方修正している。いずれ成熟段階に入ることは確実で、ポスト・デジタルカメラをいかに開発するか。次の勝負が始まっている。

ポイント2
キーパーツを自社開発、生産できるか

  精密機械業界にとって、今後を左右する最大のポイントの1つは、エレクトロニクス業界との競合だ。現在、最大のヒット商品となったデジタルカメラの場合、キーデバイスはレンズを通して入ってきた光を受け取る役割を果たしているCCD(電荷結合素子)だが、精密機械メーカーで自社技術として保有しているのは富士写真フイルムだけ。他社はソニーなどエレクトロニクスメーカーからキーパーツを調達している。だが、キーパーツを自社生産できないことは、単なる組立加工メーカーと変わらなくなってしまううえ、コスト削減にも限界がある。また、今後の製品開発においてもキーパーツを持つ企業と持たない企業では、差が出てくることになる。他社に先駆けてキーパーツを開発できるかどうか、先行きを占ううえで重要なポイントになる。

ポイント3
エレクトロニクスメーカーとの競争に勝てるか

  カメラ、時計はもともと光学とメカの技術を基盤として発展してきた。だが、キヤノンが電子制御機能を利用して自動焦点カメラを開発、他社をリードしたように精密機械もエレクトロニクス技術との関係が不可欠だ。時計もデジタル化の時代が進むなか、カシオ計算機が液晶の技術をもとに参入に成功している。現在、最大のヒット商品となっているデジタルカメラはCCDを持つソニーが一時、シェア1位となるなど、精密機械とエレクトロニクスの境界線はほとんどなくなっている。光学関連の技術ではなお優位性があるものの、企業規模の大きいエレクトロニクスメーカーと伍していくことは簡単ではない。エレクトロニクスメーカーにないオンリーワン技術を持てるかどうかが、大きなポイントになるだろう。

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