2024年 5月 4日 (土)

気仙沼に今も残る巨大漁船どうする 「震災の記念碑化」に市民戸惑い

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大槌町の遊覧船は解体、南三陸町の庁舎は議論

1年前は津波の被害を受けた建物の多くが残ったままだった南気仙沼駅前(写真上)。同じ場所は空き地が広がる光景に変わっていた
1年前は津波の被害を受けた建物の多くが残ったままだった南気仙沼駅前(写真上)。同じ場所は空き地が広がる光景に変わっていた

   一口に被災者といっても、震災被害の度合いや現在の住環境は人それぞれだ。第18共徳丸の取り扱いをめぐる考え方の違いは、そういった事情から生まれるのかもしれない。

   他の被災地でも、見た人に強いインパクトを与える「震災のシンボル」があった。岩手県大槌町では、民宿の上に大型遊覧船「はまゆり」が乗りあげ、取り残されたままとなった。保存する意見も出たが、余震による落下の危険性があったため、船を所有する釜石市が早々に撤去に踏み切った。宮城県南三陸町では、防災対策庁舎が「骨組み」だけを残した姿で今もたたずんでいる。これも「モニュメント化」の動きがある一方、被災者の間では「見たくない」と取り壊しを求める声も上がっており、決着がついていない。第18共徳丸と同様のケースだ。

   震災から2年、気仙沼の市街地では随分「片づけ」が進んだ。1年前は崩れ去った鉄筋ビルや、スクラップとなった乗用車の山、ボロボロに壊れたバスが何台も目に入ってきたJR南気仙沼駅前も、「何もなくなっちゃったから、どこを運転しているか分からなくなるんですよ」と佐々木さんが苦笑するほど「整理」され、むしろ何もなくなった印象だ。

   あちこちで道路のかさ上げのため盛り土作業が始まり、低層の土地に工場を誘致して「工業地帯」とする、といった計画も聞こえてきた。だが、実現に向けて具体的な作業が本格化するのはこれから。今はまだ、生活感のない殺風景な土地ばかりが目につく。

   その中で「巨体」をさらす第18共徳丸は異様な存在感だ。震災のつらい記憶を葬るか、永遠に忘れないために残すのか、住民はまだ答えが出せていない。

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