2024年 4月 24日 (水)

選手にそっぽ向かれた西武・伊原監督「休養」 「暴風雨でも屋外ランニング」で亀裂決定的に

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   「新生西武を作る」との旗印を挙げて西武に復帰した伊原春樹監督が突然の休養。2014年6月4日の試合後のことで、選手との溝の深さが原因といわれている。

   支持を失った中間管理職の現代の姿を見るようだ。

休養しなければならない成績ではない

「監督が一度(身を)引けば、いい風が吹くのでは、と考えた」

伊原監督の休養の弁だ。DeNAに1-0で勝った(西武)後の記者会見。この日を終わった時点で20勝33敗、勝率3割7分7厘、首位オリックスに12.5ゲーム差をつけられての最下位の不振を理由とした。

   この成績は休養しなければならない数字とはいえない。同じパ・リーグの楽天、セ・リーグのヤクルト、DeNAと似たり寄ったりだ。

   不成績は表向きの理由で、実は選手との関係に真相がある、という声が多く、メディアもその点をはっきりと報じているから、間違いなく溝があったのだろう。開幕2か月ちょっとでの出来事なのだから、よほどおかしくなっていたと思われる。

   伊原は指導者になったときから「鬼」と呼ばれていた。選手のしつけは厳しいことで知られた。「選手に好かれようと思ったら、指導者も選手も成長しない」と公言してはばかることはなかった。

   11年ぶりに西武監督に復帰したとき「鬼が帰ってきた」と選手たちは恐れた。最初の西武監督時代には優勝させている。その実績が口を開いた。長髪、ヒゲは御法度、ユニホームの着方に注文、と伊原方式を突きつけた。遠征中の5月16日、札幌から秋田に移動すると、暴風雨にもかかわらず屋外でランニングをさせた。

「これで負のオーラを流すことができる」

伊原は練習強行の狙いをそう説明したが、選手たちは、理に合わない練習、と受け止めたようで、終了後にかなりの不満が漏れた。関係者によると、これで監督と選手の間が決定的になった、という。

部下が上司の能力を判定する時代に入った現代を象徴

   この伊原休養のポイントは、選手に背を向けられた監督がグラウンドから出て行った、ということである。これまで多くの監督が選手に信頼を失って辞任しているが、こんな短期間で追い出されるのは珍しい。

   サラリーマンの世界でいえば、中間管理職の課長、部長が部下をコントロールできずに異動されるようなものだ。上司が部下を査定する時代から、部下が上司の能力を判定する時代に入った現代を象徴しているような、西武監督の突然の失脚といっていい。

   指導者伊原の評価は実に高い。

「相手が監督であれ選手であれ、伊原さんはハッキリとものを言う。相手にこびを売ったり、ゴマをするようなことはしない人だ」

かつてタイトルを獲得したことのある元選手はそう振り返っている。

   原辰徳監督の下でコーチを務めていたころ、交流戦で楽天と対戦。終盤の失敗を相手の野村克也監督から批判されると、マスコミの前で堂々と論陣を張った。それどころか翌年には楽天に4連勝したあと、前年批判された言葉をそっくり言い返した。

   相手が大物であろうと向かっていく。西武のコーチ時代にも監督とぶつかってひるまなかった。

   伊原が西武の選手に身だしなみを言うのは、強いチームであれ、ということなのだ。巨人はヒゲは許さないし、大リーグのヤンキースもそう。かつて西武は黄金時代を築いた実績があり、そのころはきちっとしたチームカラーだった。

   雨中の練習は強豪チームは当たり前のごとく行っている。巨人V9時代の川上哲治監督は多摩川グラウンドで、火をたかせてボールを乾かしながら打ち込みをさせた。長嶋茂雄、王貞治といったスーパースターはそうやって超一流になっていった。

   「現代の選手には相容れられない古いやり方」との声を背に伊原はユニホームを脱いだ。伊原は選手の不満という豆をぶつけられた鬼のような格好だが、彼の実力からして復活の可能性はある。西武のフロントも短期間で辞められてはメンツがないだろうに。

(敬称略 スポーツジャーナリスト・菅谷 齊)

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