2024年 5月 3日 (金)

【震災5年 絆はどこに(1)福島県郡山市】
創業300年目に訪れた大ピンチ ぶれない酒造りで日本酒蔵元は生き残った

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玄米から醸造、瓶詰め後の酒まで放射能検査を徹底

   もちろん、放射能検査は徹底していた。馬場さんによると、当初は玄米の段階、精米した白米の段階、醸造後すぐの酒、瓶詰め後の酒と各工程すべてで検査を実施したほどだ。当然、放射能不検出のコメだけを使い、不検出の製品だけを出荷した。だが「福島」と口にした途端に客が立ち去るようでは、安全性を訴える術がない。極端な例だが、「検査機関そのものが信用できない」とまで言われた。2011年の出荷量は前年比3割減。2012年以降も、苦戦が続いた。

   消費者に自分たちの声を届けたくても、聞く耳を持ってもらえない。理解が進まないもどかしさ――。ピンチに陥った仁井田本家がとった行動は、明解だった。「だったら、もっと自分たちを知ってもらおう」。

   震災前から、酒造りや田植えの体験、感謝祭、収穫祭を開いて地域の人と触れ合う機会は設けていた。さらに「蔵に来てもらおう」を合言葉に2013年、毎月1回の「スイーツデー」を新設した。麹糖(こうじとう)と卵を使った「自家製ババロア」を販売する。あえて日本酒に固執しないイベントのおかげで、地元・郡山を中心に女性や子連れの人が大勢来るようになった。

「当社は創業300年、地元ではそれなりに知名度があると考えていました。ところが実際にイベントに参加した人に聞くと、『初めて来ました』という声が多かった。郡山市内でも、まだまだ我々は知られていなかったのです。もっとアピールしなければという思いを強くしたのです」
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