舛添都知事はなぜ「ケチ」と言われるのか 本人が語っていた幼少期からの「知恵」
2016.05.23 19:55
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「頭使うしかなかったんだ。俺はそれやったもん、一生懸命」
これらの話は1980年代以降のものだが、子どものころの舛添氏の生活ぶりにも、現在のお金の使い方のルーツを思い起こさせるエピソードがある。
「アエラ」1990年6月5日号のノンフィクションコーナー「現代の肖像」では、舛添氏を特集している。この記事の中で、筆者でノンフィクションライターの吉田司氏は、東大進学まで北九州市の八幡で育った舛添氏の小中高校時代の友人の証言として、
「舛添は八百屋の息子だよ。(中略)他人の土間先借りて野菜をパラパラッと並べたようなヤサイヤだった。貧乏? あいつが子供の頃、ポケットから金出して何か買ったの見たことないね」
と書いている。さらに、舛添氏の姉も、
「バラック小屋で勉強部屋もないような家でしたからね。教科書代もない。妹や要一は、夜遅くまで野菜のリヤカー引いて」
と貧しい生活ぶりを率直に明かしていた。
そして、舛添氏自身がこんな言葉を残している。
「八幡なんて、なんにもない町だ。鉄クズだけだ。そこで何か生み出すってったら、ココだ、頭使うしかなかったんだ。俺はそれやったもん、一生懸命」
タレント学者としてテレビで人気者になり、政治家、そして東京都知事になった舛添氏の「セコイ」金銭感覚は、幼少年期を通じて「なんにもない」状態を生き抜いた知恵の賜物、と解釈できなくもない。