2024年 4月 27日 (土)

「9.11」の暗転がバングラデシュにやってきた――ダッカ・テロ事件の背景にあるもの(上)
聖心女子大・大橋正明教授に聞く

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   バングラデシュの首都ダッカで起きた痛ましいテロ事件は、日本人7人が犠牲になったこともあり、国内でも大きな衝撃が広がった。実行犯として報じられている者の多くは、高学歴の富裕層出身だ。インターネットなどを通じ、イスラム教スンニ派の過激派組織IS(イスラム国)の考えに染まっていった可能性があるとされている。

   「アジアの最貧国」と言われてきたバングラデシュ。国民の多くがイスラム教徒でありながら寛容なイメージが強く、日本との関係も良好だった。それなのになぜ――。

  • 大橋正明教授(2016年7月6日撮影)
    大橋正明教授(2016年7月6日撮影)
  • 大橋正明教授(2016年7月6日撮影)

経済成長率は毎年約6%台で安定

   J-CASTニュースは今回、南アジアの貧困問題解決に取り組むNGO「シャプラニール=市民による海外協力の会」の元代表理事で聖心女子大学教授(国際開発学)の大橋正明教授に話を聞いた。(上)では、今回の事件にもつながるバングラデシュの経済発展、そして過激思想が広がりつつある背景についてお届けする。

――1971年の独立戦争を経てパキスタンから独立したバングラデシュですが、その後の経済発展はどのように進んでいったのでしょうか。

大橋教授   独立後も1975年くらいまでは「貧困」と「援助」の代名詞でした。日照りや洪水といった自然災害が続き、国際的な援助なくしては成り立たないという状況が長く続いていました。それが徐々に変わってきたのは、ここ10~15年くらい。経済成長が本格的に軌道に乗り、経済成長率は毎年約6%台で安定しています。
成長を引っ張っているのは、主に縫製業です。それから海外出稼ぎ労働者の送金も大きい。天然ガスの生産も、必ずしも順調ではないですが経済発展の助けになっています。急成長した理由は色々ありますが、輸出用の縫製業の生産拠点が徐々にバングラデシュにも移ってきたことでしょう。その背景には、最近の中国で人件費が上がったのもあります。
バングラデシュはLDC(開発途上国の中でも特に開発が遅れている国々)の1つに数えられますが、現首相は2021年までに中所得国になるという目標を掲げている。それは、このまま何事もなければ達成できるかもしれません。

経済成長が続き「不正」「腐敗」が蔓延

――「アジアの最貧国」という枕詞で語られることが多いですが、もはやそのイメージには当てはまらなくなってきているということですね。急激な経済成長によって国民の生活はどのように変化したのでしょうか。

大橋教授   30年くらい前までは餓死する人もいましたが、今では貧困で飢える、ということは例外的なケースを除いてはなくなりました。国民所得も1人あたり1000ドル程度になっているでしょう。地方都市も発展しているし、農村にも大きな家はあります。
しかし、経済成長が続くということは多くのひずみも生じるということです。貧富の格差が広がり、社会の不正や腐敗も蔓延する。
2013年の「ラナ・プラザ事件」は、まさに不正・腐敗の典型的な事件でした。ダッカ近郊のサバールで、縫製工場などが入居する8階建てのビル(ラナ・プラザ)が一瞬のうちに倒壊し、約1100人もの女性労働者が亡くなったのです。オーナーは建築基準を守らず、役人にお金を払って見逃してもらっていた。ビル内には前日に亀裂が見つかり、労働者は働くのを拒んだのですが、「お前クビにするぞ」と強制的に働かされていました。
結局、ラナ・プラザでは事件が起きたから、色々と改善の動きがみられたけれど、それ以外にも改善すべき事故はたくさんあったわけです。

――そうした劣悪な労働環境で働かざるを得ない状況がある中、若者たちの就職事情はどのようになっているのでしょうか。

大橋教授   経済が豊かになっても、まだまだ仕事の数は不足しています。全体として就職率がよくなっているわけではありません。そうすると、やはりコネや賄賂を使わないと就職できないわけです。裕福層の若者でも、たとえば公務員になるためには、やはり儲かりますから、たくさんお金を払わなければならない。
なかなか就職できなかったり、就職しても賄賂など不正にぶつからなくてはならなかったりというのは、若者たちの心をすごく痛めますよね。

9.11後の「世界の暗転」がバングラデシュにやってきた

――バングラデシュではイスラム教徒が約9割を占めていますが、他宗教にも寛容な「世俗主義」との国柄でしたよね。経済成長に伴い、宗教的な流れも変化しているのでしょうか。

大橋教授   いわゆる西欧社会とイスラム社会という対立軸ですが、バングラデシュの人々は、伝統的にはそのようには考えない人たちでした。聖地メッカからも離れているし、他宗教、特にヒンドゥー教徒と仲良く長年暮らしてきた柔軟さがあったんです。しかし、徐々に「イスラム」という意識が持ち上がってきた。
1971年の独立後、政権を握ったアワミ連盟は完全な世俗主義、つまり非宗教主義でした。1980年からBNP(バングラデシュ国民党)が政権を握って以降、次第にイスラム教を国教に戻していきました。その後、この2つの政党が何度も入れ替わっていくのですが、その過程で、もともとの世俗主義がだんだんと薄れ、国民を統合するのにイスラムが使われていきました。ただ、過激なものではありませんでした。

――今回のテロの実行犯はイスラム過激派組織の若いメンバーとみられています。過激思想が国内で広がりつつある理由はどこにあるのでしょうか。

大橋教授   私はこれを、9.11(2001年のアメリカ同時多発テロ事件)でアメリカがアフガニスタンに戦争に入ったことが直接のきっかけとみています。
(9.11のテロ組織「アルカイーダ」リーダーの)ビンラディンを捕まえるだけだったら、私はアメリカとイスラムの関係はそんなに悪くならなかったと思っています。けれど時のブッシュ大統領は「十字軍」という言葉を使い、警察行動ではなく軍事行動を起こして根こそぎやってしまった。あれ以来、世界の大きな暗転が始まって、それがついにバングラデシュにやってきてしまったというふうに考えています。
よく「グローバル化するとナショナリスティックになる」という言い方をしますよね。日本でも経済がグローバル化する一方、中国などに負けている部分があるから、ヘイトスピーチに代表されるようなナショナリズムの風潮が高まっているでしょう。同じように、バングラデシュも経済成長する中でグローバル化していく。
そうすると「僕たちは何なんだ」って考えます。その時に「バングラデシュ人というよりイスラム教徒だ。ISが言うようにやってみようじゃないか!」という過激思想に走る感覚は分かりますよね。「そうしないと強い力に勝てない。そうじゃないと西洋化されてしまう」と思うんです。

「小さな沢山のささくれ」がガッと大きくなる

――経済成長していく中、それはある種自然な流れとも言えるということですか。

大橋教授   ある意味で避けられない流れとも言えます。国際的には「世界の警察」であるアメリカがアフガニスタンやイラクで無実の人たちを大量に殺している。パレスチナやシリアの問題も一向に解決しない。そしてバングラデシュ国内では経済成長によるひずみ、すなわち社会的不正義が蔓延している。そうした、ささくれ立つようなことが国内外に多々あるわけです。
若い人たちはもともと過激思想を持っているわけではありません。しかし、そういう小さなささくれが沢山あり、ある日、その傷がガッと大きくなり、テロを起こすような過激思想に染まっていくのではないかと思います。
これを避けるには、そういう小さな芽にしっかり目を向けていかなくてはなりません。経済成長をゆっくりゆっくりやっていかないと、格差は開き、不正も蔓延します。ですから経済成長のみを優先せず、社会開発もちゃんとやらなければならない。「不正義」に対処していくことが大切です。

   ()では、日本とバングラデシュの関係を振り返りながら、日本人が犠牲になった事情、ISと高学歴な若者のつながりについて大橋教授の意見を聞く。


大橋正明教授 プロフィール

1953(昭和28)年9月24日、東京生まれの62歳。東京の町田市在住。72年、早稲田大学政経学部入学。74年10月~75年3月までブッダガヤにあるマハトマ・ガンディーのサルボダヤ運動のサマンバヤ・アーシュラム滞在(主にバラチャティ郡バッガ村にある全寮制の「不可触民」の子どものための小中学校に滞在。子どもたちの親の多くはブーダン農民)。78年3月大学卒業。78~79年文科省系特殊法人職員、79~80年インド政府奨学金を受け、インドの国立ヒンディー語学院上級ディプロマコース終了。80~87年に日本の国際協力NGOのシャプラニールのバングラデシュ駐在員と東京の事務局長、88~90年に国際協力機構(JICA)奨学金で米国コーネル大学大学院国際農業・農村開発研究科修了、90~93年に国際赤十字・赤新月社連盟兼日本赤十字社のバングラデシュ駐在員として防災、農村保健、難民などを担当。93~2014年まで恵泉女学園大学教授、2014年 から現在まで、聖心女子大学文学部人間関係学科教授(NGO/NPO論、南アジア地域研究)。

主要な社会活動は、シャプラニール=市民による海外協力の会評議員(元代表理事)、国際協力NGOセンター(JANIC)理事(前理事長)、日本NPOセンター副代表理事、(公財)早稲田奉仕園常任理事、アーユス仏教国際協力ネットワーク理事、(社福)コメット監事、国際開発学会常任理事、地球環境基金運営委員他。

主著に、NGOs and Japan's ODA: Critical Views and Advocacy(Chapter 20 of "Japan's Development Assistance" edited by Kato, Hiroshi et.al, Palgrave McMillan, London, 2015)、『国際協力用語集』(共編著、国際協力ジャーナル社、2014年)、『グローバル化・変革主体・NGO』(共編著、新評論、2011年)、『バングラデシュを知るための60章[第二版]』(共編著、明石書店、2009年)、『「不可触民」と教育―インド・ガンディー主義の農地改革とブイヤーンの人びと』(明石書店、2001年)他。

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