2024年 4月 26日 (金)

アメフト問題の日大、50年前には「大改革」の過去があった

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   アメリカンフットボール部の危険タックルに端を発する問題は、日本大学全体を揺るがす事態に発展した。学生や教職員が立ち上がろうという動きは、半世紀前をフラッシュバックさせる声が数多い。

   奇しくもちょうど50年前の1968年5月、改革ののろしはあがったのだった。

  • 会見で、選手の主張を否定した内田正人前監督
    会見で、選手の主張を否定した内田正人前監督
  • 会見で「けがを目的に指示はしていない」と述べた井上奨コーチ
    会見で「けがを目的に指示はしていない」と述べた井上奨コーチ
  • 会見で、選手の主張を否定した内田正人前監督
  • 会見で「けがを目的に指示はしていない」と述べた井上奨コーチ

現役選手たちが声明を出す意向

   ついに学生側が動く。日大アメフト部の父母会は2018年5月24日に緊急理事会を開き、近日中に現役選手たちが声明を出す意向だと発表した。父母らは「監督が反則の指示をしていたと聞いている」といった言葉が漏れ、声明は内田正人前監督や井上奨コーチら指導者陣を糾弾する内容になる可能性が高い。

   一方、教職員組合・文理学部支部も24日に声明を出している。当該選手について「勇気ある記者会見」とする一方、内田・井上両氏の会見は「大学側の不誠実さを広く世に知らしめた」と糾弾。被害者・学生・教職員らへの謝罪や、理事会・法人本部の人事刷新などを要求した。マスコミに対しても、「一過性のセンセーションを求め、たとえばキャンパス近辺で学生たちにマイクを突きつけるよりも、ジャーナリズムの本義にもとづき、プロフェッショナルの力量で日本大学の構造的問題を徹底的に追及していただきたい」と要望した。

   25日には大塚吉兵衛学長が会見を開いたが、これまでの大学側の言い分をなぞるかたちに終始した。

   学生が「無責任」な大学に反旗を翻す構図は半世紀前と重なる。50年前、「日大全共闘」は大学側の20億円使途不明金事件のマスコミ報道に端を発する反乱だった。経済学部生の秋田明大氏を議長とし、「教職員組合」や「父兄会」まで巻き込む大規模な抗争となった。

「今回の件で、昔の日大全共闘だったら...」

   当時、「日大の帝王」と呼ばれた古田重二良会頭(当時)は、大教室での講義を基本とするマスプロ教育や、付属高校増設などで大規模化を図り、日大を日本有数のマンモス大学とすることに成功した。一方で学内の締め付けは強く、学生の自治運動や政治運動は禁止。自身に強大な権力を集中させ、独裁体制を確立した。

   全共闘は、古田会頭ら大学当局に対し、理事総退陣、経理の全面公開、集会の自由の容認など5項目を要求。大学内にバリケードを張って立てこもり、全学部でのストライキに発展した。

   68年9月21日に古田会頭は回答書を提示し、大幅に譲歩する構えを見せた。同30日、両国講堂で大衆団交が開かれ、学生3万人が集結。当局は学生側の要求にすべて応じると約束した。

   ところが同年10月31日、古田会頭は先の団交での約束を一方的に破棄し、突如として居直ったため、全共闘がいっそう激しさを増すこととなった。

   このような流れの中で全国的に広まった全共闘の中でも、日大のそれは東京大学と並んで桁違いの規模だった。しかし、制圧にあたった警察や機動隊が続々と投入されるなかで、暴動が過激化、死者を出す事態にまで発展した。全共闘の求心力は衰退していくことになった。草の根の改革は実らなかったのである。

   5月27日は日大全共闘の結成日。2018年はちょうど50年の節目の年だ。アメフト問題で脳裏によぎらせる人は多く、ツイッターでは、

「日大全共闘の再来かな?」
「日大の学校体質は50年前から変わってないけど、学生気質はやはり先輩から受け継がれていますね、当時の全共闘結成に批判もありましたが、撃たれ強い学生魂を感じています」
「日大の学生がもっかい全共闘結成して当局の不備を実力で糾弾したら全力で加勢したい」
「知り合いの全共闘世代の人が、『日大は50年経っても全く変わらない』と呆れていた」
「今回の件で、昔の日大全共闘だったら、理事長はじめ執行部総退陣を要求する学生運動ありかも知れん」

といった声があがっている。

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