2024年 4月 27日 (土)

松坂大輔はなぜ甲子園で強いのか 「20年前の投げやすさはなかった」と語った裏の決意

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   中日の松坂大輔投手が13日、甲子園球場で行われた阪神戦に先発し、今季6勝目をマークした。38歳の誕生日となったこの日は、5回を投げ95球5安打1失点。公式戦の甲子園のマウンドは、2006年6月9日以来12年3カ月ぶりで、日米通算170勝目となった。

   20年前の1998年9月13日。この日も松坂は甲子園のマウンド上にいた。AAA野球選手権の決勝戦。台湾を迎えての一戦で松坂は完投で勝利し、大会MVPに輝いた。投球内容は20年前には遠く及ばないものの、ヒーローインタビューでは「勝てて良かったです」と2度目の甲子園バースデー勝利を素直に喜んだ。

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松坂が残した甲子園での伝説

   松坂は甲子園を「特別な場所」という。横浜高校時代、春夏連覇の偉業を成し遂げた「平成の怪物」は、甲子園で負けたことがない。150キロを超えるストレートを武器に11試合に登板し、10試合で完投。うち6試合が完封勝利で、99回を投げて奪った三振は97。防御率は驚異の0.78と、怪物ぶりをいかんなく見せつけた。

   今でも伝説として語り継がれるのが、夏の大会でのPL学園との準々決勝戦。PLのエース上重聡(現日本テレビアナウンサー)と投げ合った一戦は、延長17回までもつれる壮絶なものとなり、松坂は17回を一人で投げ切り250球の完投勝利を挙げた。決勝戦では京都成章高相手にノーヒットノーランを演じ、チームを優勝へと導いた。甲子園の決勝でのノーヒットノーランは史上2人目で実に59年ぶりの快挙だった。

甲子園のマウンドとMLBのマウンドの違い

   松坂は甲子園に愛されているのだろうか。MLBのマウンドに8年間、慣れ親しんだ松坂にとって甲子園のマウンドは投げづらいはず。MLBのマウンドの土は、一般的に日本よりも硬い。MLB仕様とされる東京ドームのマウンドは硬いといわれるが、黒土の甲子園のマウンドは日本の中でも軟らかいことで有名だ。

   MLBに移ってから松坂の投球フォームは明らかに変化した。日本球界で活躍していた20代前半のころは、柔軟な投球フォームが特徴的だったが、MLBでは持ち味の柔らかさは影を潜め、上半身だけで投げている印象が強い。この変化はMBLのマウンドの硬さが大きな要因とされている。MLBの投手に多く見られる投げ方は、踏み込んだ足をしっかりと固定することで、上半身のパワーを最大限に引き出すもの。硬いマウンドに対応するには、MLBスタイルを受け入れざるを得なかったのだろう。

   MLB出身のクローザーの多くが、甲子園のマウンドの軟らかさに苦労するという。先発、中継ぎ投手が荒らしたマウンドは、大きな穴がいくつも空いており、足を踏み込む際にはそれをうまく避けなければならない。加えて土が軟らかいため、踏み込む足が固定出来ず、慣れるまでは相当な時間を要するという。

甲子園に愛されたレジェンド

   この日、松坂は試合後、報道陣に「投げづらかった。20年前の投げやすさはなかった(日刊スポーツ)」と語っている。決して得意ではない甲子園のマウンドで、38歳の松坂が勝てる理由はどこにあるのか。

   松坂と同じ1980年生まれの野球選手は「松坂世代」と呼ばれる。ここ最近、横浜高でともに甲子園で活躍した後藤武敏(DeNA)をはじめとし、村田修一(元巨人)、杉内俊哉(巨人)と、今季3人の「松坂世代」が相次いでグローブを置いた。現在、現役でプレーしているのはわずか7人。この日のマウンドにかけた思いを松坂は「もう少し頑張るよという決意表明のような日」と表現した。

   ファンもまた高校野球のレジェンドを後押しした。この日の2回、バッターボックスに入った松坂に対して、中日の応援団は「ハッピーバースデー」の演奏で祝福。阪神ファンで埋まるライトスタンドからも大きな拍手が起こった。「力を与えてくれる場所」。甲子園を語る時に松坂が常に口にする言葉だ。甲子園には魔物が棲むといわれるが、松坂の強いモチベーションがこの魔物さえも味方につけたのだろう。

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