2021年 3月 9日 (火)

大隈重信はなぜ「お札」になれないのか 幻に終わった「10万円紙幣」

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90年代に訪れた「最大のチャンス」

   だが、大隈が「お札の顔」になれるチャンスが、実は存在した。90年代のことである。

   80年代末から90年代前半にかけ、政財界では「5万円札」「10万円札」などの高額紙幣を発行すべき、という議論がたびたび巻き起こった。90年には、今上天皇の即位の礼に合わせ、「5万円札・10万円札の出番近い?」(日経、90年1月1日付朝刊)との観測も飛び出す。

   これに応じたのが、大隈の出身地・佐賀の人々だ。「大隈重信侯誕生地記念会」と、早稲田大学のOBからなる稲門会佐賀県支部が中心となり、当時の市長を会長に「大隈重信侯をお札にする会」を結成した。県知事も巻き込み、94年には「大隈10万円札」の見本を作成、市内でパレードも(朝日、94年4月4日付朝刊)。翌95年には10万人分の署名を集め、大蔵省(当時)への陳情に動いている(読売西部版、95年4月20日付)。

   大隈が「お札の顔」になれる日が近づいた、かに見えた。

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