2019年 12月 14日 (土)

日本ラグビー界の「頭脳」廣瀬俊朗氏、学業との両立で得たものとは?

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   173センチ、81キロ。ジャケットを羽織ると、どこにでもいそうなサラリーマン風だ。ラグビー日本代表主将も務めた廣瀬俊朗氏。ポジションはSO(スタンドオフ)、WTB(ウイング・スリークオーター・バックス)を始め、ユーティリティーな選手として活躍した(代表キャップ28)。

   突出すべきは、その「キャプテンシー」である。日本代表前HC(ヘッド・コーチ)のエディ・ジョーンズ氏からも「自分がラグビー界で経験してきた中でも、1番の主将だ」と言わしめたほどだ。どんなラグビー人生を送ってきたのか? 廣瀬氏に聞いた。

  • 直筆サイン入り公式球を手にする廣瀬俊朗氏
    直筆サイン入り公式球を手にする廣瀬俊朗氏

学業とラグビーの両立...どのように?

   廣瀬氏は、大阪府吹田市出身。ラグビーを始めたきっかけは?

「5歳の時に、親に無理やり(地元の吹田ラグビースクールに)連れて行かれて...。それで始めました。最初は嫌だったけど、段々と友達ができたりして、それが楽しかったですね」

と振り返る。

   地元の中学を経て、高校は大阪府内の名門・北野高へと進学。北野高といえば、元大阪市長の橋下徹氏をはじめとした著名人を輩出する「文武両道」の進学校として知られる。全国高校ラグビー(花園)にこそ出場できなかったものの、主将としてチームをけん引した。

   大学には、高校の「指定校推薦」で慶應義塾大に進学。しかも、基本的に授業が1限~6限まで、ほぼフルに入っている「理工学部」への入学だった。しかし、ラグビーを続けたかったのなら、他大や他学部という選択肢もあったのでは?

「いや、高校の指定校推薦で慶大...っていうのが、理工学部しかなかったので。元々、数学が好きで、文系よりは理系で...っていうことで決めました」

   授業と練習の両立は厳しくなかった? と聞くと、

「慶大は、文系が三田(東京都港区)、SFC(神奈川県藤沢市・湘南藤沢キャンパス)って分かれるんですけど、理工学部は、ずっと日吉(横浜市)でしたから(慶大ラグビー部グラウンドは日吉にある)。いつも自転車で行き帰りして、他の選手よりは楽だったと思います。数学が好き...っていう点では、ラグビーのプレーにおける考え方、トレーニングの組み方...っていうところで『論理的に考えられる』っていうことで、生きたと思いますね」
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