2020年 6月 7日 (日)

保阪正康の「不可視の視点」
明治維新150年でふり返る近代日本(47)
第2期国定教科書の「4つの異様性」

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   1910(明治43)年に改定された国定教科書(第2期)が、いかに「忠君愛国」を鼓吹するに至ったかをもう少し具体的に見ておきたい。なぜなら可視化された年譜の表の歴史とそれを支える時代の精神とはどのようにして作られたのか、つまりその裏を見ることにより、私たちの国の歴史が重層化してくるからである。

   明治新政府がこうした忠君愛国を説くのが日露戦争に勝利してからということは、実は重大な意味を持っている。日本は忠君愛国を説いてその挙句に戦争に入っていったのではなく、戦争に勝ってから忠君愛国を説くのである。帝国主義的な教育の結果として、戦争があったのではなくて、戦争に勝つことで忠君愛国思想の鼓舞を始めたのだ。その結果、次の戦争をせざるを得なくなるといったサイクルに入っていく。日本的特異性というべきであろう。その点にメスを入れなければ日本人の心理や言動は納得できないというべきだ。

  • 第2期教科書では「天皇への報恩」が前面に押し出された(写真は明治天皇)
    第2期教科書では「天皇への報恩」が前面に押し出された(写真は明治天皇)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん
    ノンフィクション作家の保阪正康さん
  • 第2期教科書では「天皇への報恩」が前面に押し出された(写真は明治天皇)
  • ノンフィクション作家の保阪正康さん

「天皇への報恩」が前面に出た第2期教科書

   第2期の国定教科書の修身では、6年生は日露戦争が取り上げられる。生徒への指導について教師用の教本には次のように教えよと解説している。

「明治三七、八年戦役は我が大日本帝国が露西亞と戦ひて威名を世界にかがやかしたる大戦争なり。明治三十七年二月宣戦の詔くだるや、国民は一に聖旨を奉体して報国の誠を尽くさんことを期せり。陸海軍人は寒暑ををかし苦難をしのぎて勇戦し、或は弾雨の中に平然として其の任務を尽し、或は負傷すれども後送せらるることを否みて飽くまで戦場に立たんことを願ひしなど、忠誠勇武なる美談甚だ多し。(以下略)」(引用はすべて『教科書の歴史』唐澤富太郎から)。

   実際に戦場でのエピソードは、いずれも出征者をたたえ、彼らをして後顧の憂いなきように戦わしめる、それこそ忠君愛国の鑑であるとの認識に基いて教えるように命じている。そして次の明治天皇の御製(ぎょせい=天皇の作った詩歌)を紹介するのである。

国を思ふ 道に二つはなかりけり 軍(いくさ)の場(には)に 立つも立たぬも

   第1期の国定教科書では「天皇陛下」については、明治天皇の歩み、その人間性に触れるにとどめていたが、第2期ではこうして天皇への報恩を強く打ち出している。その点を教師は強調せよと執拗に命じられる。尋常小学校の4年生の修身では、日清戦争時の明治天皇に触れ、「陛下は朝早くから夜おそくまで、御軍服のままで、いくさの事を初め、いろいろのことをおさしつあそばされて御いそがしくあらせられたことは、まことにおそれ多いことでありました」と書くのである。いかに天皇が戦争の前面に立って戦ったかを教え、国民はその天皇に恩で報いなければならないというのだ。

第2期教科書では「前近代的な家族倫理」がピークに

   そして天皇は万世一系の神格化した存在だと教えていく。第2期の教科書は大日本帝国が神格化した天皇の国家という神話をより明確に語っていく。この進み方が少し異様なほど早いのである。前出の唐澤書で、この期の修身教科書の最大の特徴は、「前近代的な家族倫理がピークをなしていることであった」とも言い、その後の国定教科書と比較すると昭和10年代の国定教科書よりも家族倫理が突出しているというのであった。なぜ第2期はこんなに異常だったのか。これについての見解はいくつかすぐに指摘できる。この後の第3期の国定教科書は、大正デモクラシーの影響下で、国際性や全人的な色彩が濃くなっていく。第3期は、日本が国際社会で一定の地位を築いたが故に、あまりにも偏狭なナショナリズムは各国の反発を買うという恐れもあったのだろう。それが第2期の国定教科書の否定になったといっていい。

   そういう変化をしていく過程で、第2期の異様性は、次のような結論を引き出していいのではないかと思えるのである。箇条書きにしておこう。

(1)日露戦争に勝利したことで国家の指導者が心理的な高揚状態になった。
(2)維新を体験し明治新政府の初期を担った指導者のナショナリズムの歪み。
(3)反体制的な思想や運動が一定の力を持つようになったことへの危機感。
(4)天皇に権力と権威を与え天皇制国家のイデオロギーを確立する必要があった。

   私は、こういう条件が重なり合って日本は市民的近代国家への熟成が遅れたのだと思う。付け加えておくならば、昭和という時代はこの歪みを正当性のあるものとして引き継いだといっていいであろう。そのことは教科書の変遷の中でより明瞭にしていかなければならない。そしてもう一つ考えておくべきことがある。それは天皇制と天皇個人の分立、乖離、あるいはその公的存在と私的存在の亀裂をいま、私たちは見ておく必要があることだ。どういう意味か。

   明治天皇と睦仁天皇(睦仁は明治天皇の諱=いみな)の間にはいくつかの亀裂がある。その矛盾を、例えば第2期の教科書は示していない。つまり政治を動かした官僚たち(文官、軍官僚を問わず)にとっての最大の問題点は、天皇の真意や本意を無視した近代の政治システムの無責任体制にある。第2期の教科書を分析していくと、教科書を作る側の官僚の無責任体制に行き着くのである。(第48回に続く)




プロフィール
保阪正康(ほさか・まさやす)
1939(昭和14)年北海道生まれ。ノンフィクション作家。同志社大学文学部卒。『東條英機と天皇の時代』『陸軍省軍務局と日米開戦』『あの戦争は何だったのか』『ナショナリズムの昭和』(和辻哲郎文化賞)、『昭和陸軍の研究(上下)』、『昭和史の大河を往く』シリーズ、『昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)『天皇陛下「生前退位」への想い』(新潮社)など著書多数。2004年に菊池寛賞受賞。

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