2021年 5月 7日 (金)

「爆発踏切」日田彦山線BRT化でどうなる 戦後混乱期に起きた「忘れられた事故」残す遺構

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   JR九州の日田彦山線のうち、2017年7月の九州北部豪雨で被災し、運休が続いていた添田(福岡県田川町)~夜明(大分県日田市)間について、沿線市町村がBRT(バス高速輸送システム)への転換に同意し、鉄道としては廃止されることが、20年5月26日ほぼ決まった。

   この区間には「爆発踏切」という変わった名前の踏切がある。終戦直後の混乱の中で起こった大爆発「二又トンネル爆発事故」がその名前の由来になっている。

  • 何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)
    何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)
  • 何の変哲もないこの踏切が「爆発」踏切(Ippukuchoさん撮影、Wikimedia Commonsより)

トンネル内の火薬500トンが爆発

   爆発踏切は彦山(福岡県添田町)~筑前岩屋(東峰村)間にある。日田彦山線は城野駅(北九州市)から南下して夜明駅に至るが、北から順に開通していった同線のうち、1945年当時は彦山~筑前岩屋~大行司~宝珠山が未開業。彦山~筑前岩屋間は山間部を貫く区間で、二又トンネル・吉木トンネル・釈迦岳トンネルの3つのトンネルを掘削する計画だった。

   ところが、すでに完成していた二又トンネルと吉木トンネルに陸軍が目を付けた。1944年6月の小倉空襲で被災した陸軍小倉兵器補給廠山田填薬所(現・北九州市)に代わる火薬の保管場所に選ばれ、大量の火薬が搬入された。

   1945年8月に日本は連合国に降伏し、2つのトンネルに保管されていた陸軍の火薬も占領軍に引き渡されることになった。火薬は11月12日に占領軍が焼却作業を始める。吉木トンネル内の火薬は無事に処分されたが、二又トンネルの火薬を処分する時に事故が起こった。15時頃導火線に着火して作業を指揮した占領軍のユーイング少尉は現場を離れたが、火薬が激しく燃え始め、17時20分頃に大爆発を起こした。死者は近隣住民や警備にあたった日本人警官など145人、負傷者151人と現場近くの慰霊碑に記録されている。二又トンネルに保管されていた火薬の量は合計532.185トンとも記録されていて、爆音は遠く福岡市でも聞こえたという。

戦後しばらく「忘れられた」事故

   事故後に撮影された現場写真はインターネットでも検索できるが、500トン以上の火薬が爆発したすさまじさを物語っている。トンネルというからには山の中に掘られていたのだが、山そのものがトンネルごと吹き飛ばされ、ぱっくりと割れて切通しのようになっている。その土砂や火薬の破片が降り注いで前述のような被害をもたらした。

   この区間は1956年に開業したが、その時には二又トンネルは当然なく、吹き飛ばされた山の跡を今に至るまで線路が通っている。彦山駅から夜明方面へ列車が走り、二又トンネル跡を過ぎるとある小さな踏切が、事故由来の「爆発踏切」である。現場の山の跡には草木が生い茂り、事件を知らなければここにトンネルがあったことすらわからないだろう。

   戦後混乱期の事件で、かつ米軍がかかわっていたために報道管制が敷かれ、直後に地元の西日本新聞でわずかに報じられたにすぎなかった。戦後の全国メディアの記事を調べてみると、雑誌「サンデー毎日」1963年10月20日号「新聞に出なかったトンネル大爆発」として二又トンネル事故が取り上げられている。戦後しばらくは忘れられていたことがうかがえる。

BRT化後の運命は?

   沿線自治体が同意した計画では、一般道路と既存の鉄道線路跡を利用してバスを走らせる。JR九州が提示しているBRT化案では添田~夜明間のうち、ちょうど彦山~筑前岩屋間の線路のみをBRT専用道に転換する計画である(福岡県案ではさらに筑前岩屋~宝珠山間も専用道化)。この区間が山間部にあり、因縁の吉木トンネル(現在は深倉トンネルと改称)と釈迦岳トンネルを経由した方が便利なためだ。

   JR線のBRT化はJR東日本の気仙沼線で前例がある。かつて踏切があったところも専用道になっているが、交通量の多い道路と交差する場合、基本的にBRT側の方が遮断桿(かん)で遮断されている(BRT専用道への一般車の進入を防ぐためでもある)。

   では爆発踏切はどうなるのか、と考えると、人しか通れないような小道が線路と交差していて、「第4種踏切」という遮断機はおろか警報機もない最も簡素な踏切のため、廃止されてしまっても不思議ではない。

   占領軍のずさんな指揮や報道管制・補償の遅れといった教訓を残した事故だったが、もし「爆発踏切」の名前がなくなるとなれば、その記憶も風化してしまうかもしれない。

(J-CASTニュース編集部 大宮高史)

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