2024年 4月 26日 (金)

安易な「誹謗中傷」訴訟、反訴→賠償のケースも 弁護士が「リスク」にあえて警鐘鳴らした理由

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   インターネット上の誹謗(ひぼう)中傷が社会問題となり、投稿者に法的責任を問う流れが加速している。そうした中、「誹謗中傷訴訟は逆に違法になるか―誹謗中傷訴訟の限界―」と題したブログ記事が、ツイッターで話題となっている。

   執筆したのは、ネットトラブルに詳しい満村和樹弁護士。安易に訴えを起こすと、反訴されるリスクがあると警鐘を鳴らす。一体、どういうことか。詳しく聞いた。

  • 批判すらできなくなる?
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注意喚起ブログに訴訟の企業、しかし...

   「最近、ネット上で『誹謗中傷狩り』のような事態が見受けられます」――。満村氏は2020年9月9日、前述のブログでこんな問題意識を共有した。

   訴訟をちらつかせ、批判を封じ込めるような兆しがあるといい、「ほとんど嫌がらせのような法的措置の行使が今後横行することを懸念していました」「Youtuberなどが『アンチコメ(ント)うざいから片っ端から訴えてみた』みたいな動画を出すとかありそうですよね(もうあるかもしれません)」と不安視する。いわゆる「恫喝(スラップ)訴訟」のたぐいだ。

   そこで、「法的措置をとることが逆に違法になってしまうことはあるんでしょうか」と投げかけ、東京地方裁判所での二つの判例を紹介した。

   主な内容は次の通り。弁護士Xはブログで、A社の事業に対し、「実体のない話」「資金提供などしたら二度と帰って来ません」などと注意喚起した。するとA社はXに名誉棄損および業務妨害で損害賠償訴訟を提起。同時に刑事告訴と懲戒請求も行った。

   Xは徹底抗戦する。事業への投資勧誘が詐欺とわかっていたにもかかわらず上記の行為を行ったのは違法だとして、A社に反訴した。さらに、不法行為責任で代理人弁護士Yにも損害賠償を求める訴えを起こした。

裁判所の見解は

   裁判では、ブログの内容は「同様の手口による詐欺被害に遭わないように世間に注意を喚起するものであったところ、本件懲戒請求等は原告の上記注意喚起を封じ込めるために行われたものであることは明らかであって極めて不当であり、このような請求等が乱発されるならば詐欺被害への注意喚起自体を困難ならしめる」と判断され、A社はXに100万円の損害賠償を支払うよう命じられた。十分な調査や検討を怠った、と追及されたYは不問となった。

   満村氏は「Yが許されたのは、刑事告訴や訴訟提起当時、YがA社の実体を見抜けなかったことは諸々の事情に照らしてやむを得ないとの判断がなされたからでした。逆に言えば、弁護士が、面白がって、もしくは金の為に、根拠ない法的措置に加担したとすれば違法との判断がされるでしょう」と見解を述べ、「『ちょっと批判しただけなのに損害賠償請求訴訟を提起された』という方は逆に訴訟提起してやりましょう」と締めくくっている。

   (19日17時40追記)満村弁護士のブログで紹介された訴訟は控訴審判決が20年8月5日にあり、A社の詐欺行為の事実は否定され、逆にX氏が100万円の支払いを命じられている。なお、控訴審でのA社の代理人弁護士によれば、X氏は判決を不服とし、最高裁に上告した。

問題提起の根底に「思想の自由市場論」

   満村氏はJ-CASTニュースの取材に、ブログを公開した背景には、表現の自由が損なわれつつあるとの懸念があったと話す。

「実際に権利を侵害された方が法的措置をとるということは当然の権利であり、私もそれを支持している立場です。プロレスラーの木村花さんの事件もあり、過去には発信者情報開示請求の解説など、むしろ被害者の権利救済に資するようなブログ記事を書いたりしています」

と前置きしたうえで、

「ただ、有名な方があの事件を契機に『バンバン訴訟する』というような発言をしているのを耳にしました。それを受けてネット上で発信をされている人たちが、他人への発言は何らかの法的リスクを負うと認識したのは既成事実だと思います。そのため、表現の萎縮が徐々に生じているんじゃないかと感じています」

と心配する。

   もちろん、誹謗中傷に対する訴訟が増えることで、人格攻撃などを思いとどまらせる「抑止効果」が生まれるメリットがある。一方で、建設的な議論がしづらくなるなどの「委縮効果」にも目を向けるべきとの主張だ。

「表現の萎縮が生まれるとどんな問題があるか、かなり本質的なところでは『思想の自由市場論』というのがあります。これは、なぜ表現の自由が基本的人権として憲法に定められなければならないかという正当化根拠として古くから議論されてきました。誤解を恐れず簡潔にいうと、自由な表現の競争の中でおのずとより良い知恵、知識、考え方が生まれていき、社会をより良い方へ、あるべき方向へ導くという理論です。だからこそ表現の自由というのは、国家やそれに匹敵するような権力から攻撃、介入、ゆがめられるようなことはあってはならないというところに結び付くわけです」
「ある種間違った質の低い情報や時代遅れの言説、たとえば女性は家庭に入るべきだとか、上司に注がれた酒は無理やりにでも飲めとか、特定の層への誤った思想に基づく発言などがネットで飛びかうと、それに対するまっとうな批判がなければ思想の自由市場論からすると社会が間違った方向に行ってしまう。正しいあるべき知識、知恵、考えというものが社会から逆に排除されていく側面があると思います。表現を戦わせる、あるべき批判もネット社会に存在するというのが健全な言論社会、ひいては社会全体の考え方や価値観をあるべきところに導いていくのではないでしょうか」

発信者は基本的な法知識が必要

   もっとも、正当な批判と誹謗中傷の区別がつかない人も多いだろう。正義感を振りかざし、意図せず他人の権利を侵害するケースも十分に考えられる。

   その点について満村氏は、法律の知識の啓発が重要だと説く。

「名誉棄損やプライバシー侵害などは、すでに法律や判例である程度の基準が示されてますが、多くの人はそれを知りません。そうすると、怖くて、本来許されるような発信の自主規制につながります。結局、法的措置をとる側もとられる側も、知識を持っていないということが萎縮につながる一つの懸念材料になるのだと思います。そうした知識を専門家などが積極的に発信していくのが重要で、私もブログやツイッターなどで伝えていきたいです」

(J-CASTニュース編集部 谷本陵)

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