2024年 4月 27日 (土)

外岡秀俊の「コロナ 21世紀の問い」(38)坂東眞理子さんと考える「男女格差」

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世界女性会議 変わる世界の潮流

   男女雇用機会均等法は、いわば「黒船」だった。それは確かに社会の流れを象徴する必然だったが、背景には、男女平等をめぐる世界の潮流の大きな変化があった。

   1975年、メキシコシティで国連第1回世界女性会議が開かれ、世界行動計画を定めると同時に、翌年から1985年までを「国連女性の10年」として集中的にキャンペーンを展開することが決まった。その成果として1979年に国連総会で女性差別撤廃条約が採択された。日本は1980年に署名したが、その批准は「国連女性の10年」の最終年の1985年。男女雇用機会均等法は、「滑り込みセーフ」のぎりぎりで国内法が整備された結果だった。

   つまり、男女雇用機会均等法や99年の男女共同参画社会基本法は、女性差別撤廃条約という包括的な人権宣言文書の波及であり、その大きなうねりを理解しないことには、趣旨を徹底することもできない。ちなみに世界女性会議はその後も「国連女性の10年」の中間である80年にコペンハーゲン、85年にはナイロビ、95年には北京でも開かれ、各国に大きな影響を与えてきた。95年の北京大会では、世界から5万人、日本からも5千人以上が参加し、沖縄県からの参加者は、帰国直後に、米兵による少女暴行事件を知り、女性に対する構造的な暴力・差別に対して抗議し、「島ぐるみ」と呼ばれる基地反対運動の先陣を切ることになった。

   女性差別撤廃条約は、6部からなる文書で、女性差別を次のように定義した。

性に基づく区別、排除又は制限であって、政治的、経済的、社会的、文化的、市民的その他のいかなる分野においても、女子(婚姻をしているかいないかを問わない)が男女の平等を基礎として人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを害し又は無効にする効果又は目的を有するものをいう。

   この条約は、女性差別につながる国内法の是正を義務付けており、日本の場合は3つの点が問題にされた、第1は、子が日本国籍を得られるのは父親が日本国籍の場合に限られるとした「国籍法」だ。これは1985年に改正され、母親が日本国籍の場合も得られることになった。第2は家庭科の履修問題だ。それまで男子は技術、女子が家庭を履修していたことが、教育における男女平等を妨げるとみなされた。当時の文部省は1989年に学習指導要領を改正し、1994年以降は男女共通の必修科目として「家庭一般」「生活一般」「生活技術」から選択できるようになった。

   そして第3が最難関の雇用問題だった。国内では1972年に勤労婦人福祉法が制定され、育児休業や母性健康管理の努力義務を掲げていたが、これは女性がもっぱら家庭の責任を負うという男女の役割分担を前提としており、差別撤廃という点ではさまざまな問題があった。そこで、男女平等に社会・家庭の責任を負うという観点からこの法律を改正し、同時に労働基準法にあった女性保護の条項も改め、条約批准にこぎつけた。もっとも、事業者に課せられたのは「努力目標」が多く、違反しても強制力はなかった。そこで1999年の改正ではセクハラへの事業者配慮義務や、ポジティブ・アクション(積極的改善措置)などの規定が盛り込まれ、2007年の改正でも間接差別の禁止などが盛り込まれ、今に至っている。

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