2024年 4月 20日 (土)

手足3本失った僕が車いすでなく義足で歩く理由 激痛乗り越え、つかみ取った「自立」

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「自立」に込めた2つの意味

   9年前の事故直後、横浜の病院のベッドで強く思ったのは「自立したい」ということでした。

   僕にとって「自立」には2つの意味があります。1つは、自力で働いてお金を稼ぎ、家事をして生活すること。もう1つは、自分1人の足で立って行動すること。義足で歩けるようになることは、最優先課題の1つでした。

   両足がない場合、もちろん車いすを選択する道もあります。でも、僕は両足だけでなく、右手もない。左手だけで車いすを漕ぐと、右へ逸れます。まっすぐ進むには左右の車輪を交互に漕ぐ必要があります。練習して、平坦な道ではその操作ができるようになりましたが、坂道では手を離した瞬間に動いてしまい、できません。

   自力で立って歩きたいという意志と、車いすの難しさ。「義足か、車いすか」の選択肢があった時、僕としては迷わず「義足で歩く」ことを選びました。

   横浜の病院に3か月ほど入院した後、2012年10月に国立障害者リハビリテーションセンター(埼玉県所沢市)へ移り、義足で歩くリハビリを始めました。

   まず、膝がある右足用の下腿義足を作るため、足を採型しました。右足だけで、リハビリ用のバー(平行棒)につかまって立つ練習を始めました。

   立ち上がるとめちゃくちゃ痛いんですよ。断端(切断して残った足先)が重心を支えるのに耐えられない。体が慣れていなくて、激痛が走ったのをよく覚えています。全然思うようにいかなくて、もどかしく、悔しかったです。

   でも、立ち上がった瞬間、物凄い感動もありました。「こんな高さだったんだ」と。事故の後は車いす生活。立ち上がることができませんでした。もともとの身長は176センチです。その高さの景色を3か月ぶりに見て、自然と涙が出るような感動を覚えました。

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