2024年 5月 2日 (木)

夏冬パラ二刀流は「体が限界を迎えるまで」 北京スノボ小須田潤太が右足切断後に知った「楽しさ」

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「篤さんに置いていかれる」...スノーボードを始めた理由

   陸上に打ち込む中、また1つ小須田の心を動かす出来事が起きる。2017年2月の全国障がい者選手権。スノーボードクロスで、尊敬する山本篤が優勝したことをニュースで知った。山本は2018年平昌パラリンピックにも出場している。

「僕は篤さんの足元にも及ばないレベルで陸上をやっていました。陸上の世界トップで戦っているその篤さんが、スノーボードでも日本一になるのか...と衝撃を受けました。勝手に『篤さんに置いていかれる』ような気持ちになりました」

   友達を誘ってゲレンデへ行ったのは2017年末。最初は専用の義足ではなく、通常の歩くための義足でスノーボードを滑った。初心者用コースはすぐに降りていくことができた。「小中学校時代、毎年スノーボードをやっていた経験が体に残っていました。それが大きかったと思います」。すぐにスノーボードの競技用義足を購入し、2018年2月には国内大会にエントリー。小須田の「二刀流」が始まった。

「最初の大会の結果は最下位だったんですが、自分がまだ若かったのもあって、運よく日本代表チームのコーチに声をかけてもらいました。2018年11月ごろから海外の試合にも行かせてもらえるようになって、そこから2019年3月ごろまでガッツリ、スノーボードに打ち込みました」
スノーボードに挑む小須田潤太
スノーボードに挑む小須田潤太

   ボードやブーツといった用具は健常者と同じものを使う。ただ義足のスノーボードは、健常者のそれとは異なる難しさがある。

「義足であることで、体のコントロールが難しくなります。義足側の足をどのように使って、全身のバランスを取りながら滑るか。今も常に試行錯誤しながら滑っています。意識しないと健足側にどんどん頼ってしまう。義足を上手く使いこなせないと、滑ったりターンしたりする中で、バランスをすぐに崩してしまう。走るよりも難易度としては高いですね」

   冬が明けると、再び東京パラリンピックを目指して夏の陸上競技に集中した。2019年4月、小須田は山本と同じ環境で練習したいと、生まれ育った埼玉から大阪へ拠点を移す。練習拠点となる大阪体育大学の近くにアパートを借り、仕事も東京から大阪の支社へ異動した。

「陸上はそこから、篤さんの生活スタイルを取り入れたり、篤さんにコーチングしてもらったりしています。会社でも競技に比重を置いて時間をもらえるようになりました。篤さんと一緒に練習できることは、それだけで刺激になる。それに、最近はコロナの影響でできていませんが、大学生たちと一緒に練習させてもらっていました。新鮮な環境で自分にとって得るものが多かった。一気にアスリート志向が高まり、競技に身を入れられるようになりました」
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