2024年 4月 26日 (金)

エリザベス女王、10代で経験した「第2次大戦」 96年の生涯をたどる

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   英国のエリザベス女王(エリザベス2世)が2022年9月8日、亡くなった。96歳だった。女王は国民に深く敬愛され、世界各国の君主の中でも別格の存在だった。今年6月には在位70年を祝う式典が開かれていた。

   英国内はもちろん世界中から追悼の言葉が寄せられている。

  • 1945年、軍務に当たる若き日のエリザベス女王(英Imperial War Museumsより)
    1945年、軍務に当たる若き日のエリザベス女王(英Imperial War Museumsより)
  • 戴冠式当時の写真
    戴冠式当時の写真
  • 1945年、軍務に当たる若き日のエリザベス女王(英Imperial War Museumsより)
  • 戴冠式当時の写真

「大英帝国」の残影を背負う

   女王は1926年、ヨーク公(のちの君主ジョージ6世、在位1936~52年)の長女として生まれた。47年、エディンバラ公爵フィリップと結婚。52年、父の急逝で即位した。英国だけでなく、カナダやオーストラリア、ニュージーランドなどで構成する英連邦王国および王室属領・海外領土の君主を兼ねており、イングランド国教会の首長でもあった。

   欧州の王室では、高齢になると、国王が退位するケースが多いが、女王は生涯現役を貫き、約70年にわたって「エリザベス2世」として公務をまっとうした。英国並びに英連邦の精神的な支柱でもあり、21世紀になってもなお「大英帝国」の栄光の残影を一身に背負い、世界各国に対し、飛びぬけて大きな影響力を持ち続けた。

   夫君のフィリップ殿下は21年4月9日、99歳で亡くなっている。

   夫妻にはチャールズ、アン、アンドルー、エドワードの4人の子女(3男1女)がおり、王位継承権1位のチャールズ皇太子が新国王として即位する。

陸軍の婦人部隊も経験

   女王は生まれた時から「将来の君主」と決まっていたわけではなかった。当時の君主はジョージ5世(在位1910~36)。その後を継いだ長男のエドワード8世は、離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの「王冠を賭けた恋」で王位よりも恋を選んで1年足らずで退位した。その結果、弟がジョージ6世として後継即位。その長女だったエリザベスがさらに後を継ぐことになった。

   父が即位したころ、欧州ではナチスドイツが勢力を増していた。39年には英仏とドイツの戦争が始まる。英国皇室に詳しい君塚直隆・関東学院大教授の著書『エリザベス女王』(中公新書)によると、まだ14歳の少女だったエリザベスは、早くも40年、ラジオの「子どもの時間」という番組に出演し、「私たちは勇敢な海陸空の兵士たちを助け、戦争という危険で悲しい出来事を耐え忍ばなければなりません」と訴え、大きな反響を呼んだ。

   15歳を過ぎると、近衛歩兵第一連隊に入隊。18歳で「国事行為臨時代行」の一人に任命されている。45年2月には、イギリス陸軍が組織する婦人部隊に入り、軍用トラックで物資を輸送する任務に就く。大型自動車の整備や修理なども習得した。

   10代半ばから後半にかけて、「対ドイツ」との戦争に深く組み込まれ、戦時下で「将来の君主」としての気概を形成したと見られている。

首相はチャーチルなど15人

   君塚氏によると、「英国君主」は他国の君主とは、かなりの違いがある。

   第一に、エリザベス女王は「英連邦王国」15か国の女王陛下。各国の国家元首であり、それぞれの国の紙幣に女王の顔が印刷されている。また、旧植民地だった国々をまとめて50余りの国で「コモンウェルス」も形成しており、21世紀になっても地球の約4分の1の国々と直接・間接につながっていた。

   加えて、イギリスは立憲君主制。国王が「政治」と密接だ。議会開催中は、毎週一度は首相と会見する。70年に及ぶ在位期間中に首相はチャーチルからトラス首相まで15人。折々の政治課題などについて長時間にわたり話し合ってきた。

   その内容は極秘とされているが、サッチャー元首相は「この拝謁が単なる形式的なものだとか、社交上の儀礼に限られているなどと想像する者がいたら、それは完全な間違い」と語っているという。君塚氏は、「女王はカナダやオーストラリアの女王でもあり、各国から届く情報に関してはイギリス首相でも及ばなかった」と指摘している。

「戦後和解」にも取り組む

   英連邦以外の国々との親善促進も大事な仕事だった。まだ王女だった1948年、フランスを訪問した時は、完璧なフランス語であいさつし、パリっ子たちを魅了した。2011年に、英国国王として実に1世紀ぶりにアイルランドを訪れた時は、晩さん会で演説の冒頭をアイルランド語で語りかけたという。複雑な歴史的関係を持つ国々との「王室外交」は形式だけにとどまるものではなかった。

   1960年代には、第二次世界大戦の交戦国との「戦後和解」にも取り組んだ。61年にはイタリア、65年にはドイツを訪問した。日本との関係改善は最後になった。捕虜にしていた英国兵に対する日本軍の「虐待行為」の問題が尾を引いていたとされる。

   71年に昭和天皇が訪英、75年に女王の来日が実現して区切りがつく。当時、女王は在位23年、昭和天皇はその倍以上。訪日で最も印象深かったこととして、「陛下にお目にかかり、教えを受けたことです」と語っている。

   日本滞在中に、女王は神奈川県保土ヶ谷にある英連邦戦死者墓地を訪れている。イギリス、オーストラリア、カナダ、ニュージーランド、インド、パキスタンなどの第二次世界大戦中の捕虜ら約1800人が眠っている墓所だ。これは、「英国」のみならず、「英連邦」「コモンウェルス」の盟主としての務めだった。

   女王は競馬の支援者としても知られ、有力馬を多数保有。獲得賞金額が英国で首位になったこともある。日本中央競馬会は女王の来日を記念し、76年から牝馬のレース「エリザベス女王杯」を設けている。

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