「ねじ式」「無能の人」など、多数の風変わりな作品で知られた漫画家のつげ義春さんが2026年3月3日、亡くなった。88歳だった。つげさんは、21年に89歳で亡くなった漫画家、白土三平さんとほぼ同世代。ともに熱狂的なファンに支持され、カリスマ的な人気を誇るなど、いくつかの共通点があった。しかし、決定的な「違い」もあった。
困窮生活から貸本漫画の世界へ
つげさんは、1937年生まれ。白土さんは1932年生まれ。白土さんがやや年長だが、二人はともに困窮の中で育った。
つげさんの父は腕の良い板前だった。しかし、早世。このため、つげさんは小学生のころから、アイスキャンデー売りなどで家計を支えた。中学には行かず、劣悪な労働環境のメッキ工場などで働くことに。貸本漫画の世界を経て漫画家の道に進んだ。
白土さんの父は貧しい画家だった。戦前、プロレタリア美術家同盟の結成に参加。警察に追われ、何度も逮捕されて、拷問も受けた人だった。33年には、拷問死したプロレタリア作家、小林多喜二の最期の姿を「小林多喜二死面」として描いている。
白土さんは、父とともに日本各地を転々とした。そんな中で底辺社会の人とも知り合い、子供のころから大人に交じって農作業や山仕事、狩猟の下働きなどを経験した。旧制中学に入ったものの経済的な事情で中退し、紙芝居の模写や採色の仕事を経て貸本漫画を描くようになる。
二人は、生活困窮→幼少時から家計を助けて厳しい環境で働く→貸本漫画家、という同じような少年期を送っていた。
ともに「ブーム」を引き起こす
先に漫画家として成功したのは白土さんだった。59年からスタートした『忍者武芸帳 影丸伝』が大ヒット、62年まで全17巻を刊行した。63年には、『サスケ』『シートン動物記』で第4回講談社児童まんが賞を受賞した。
『白土三平伝 カムイ伝の真実』(毛利甚八著、小学館)によると、64年、『サスケ』の印税をもとに自費で青林堂から新雑誌「ガロ」を創刊、大作『カムイ伝』の連載を始める。最下層の身分に生まれたカムイを主人公に、不条理な封建社会への怒りが渦巻く物語だ。60年代の時代状況ともマッチ、熱狂的な支持と共感が広がり、「白土ブーム」を呼びおこした。
「ガロ」には、才能にあふれた多数の若手が集まった。その中で最も注目を集めたのが、つげさんだった。67年には『山椒魚』『李さん一家』『紅い花』など。68年には『オンドル小屋』『ほんやら洞のべんさん』『ねじ式』『ゲンセンカン主人』『もっきり屋の少女』などの名作を毎月のように発表、「つげブーム」を引き起こす。
『美味しんぼ』原作者の雁屋哲さんは、「大学生の時に、つげ義春の『ねじ式』を読んで、天地がひっくり返るような衝撃を受けた」(「つげ義春と私」)と語っている。
吉本隆明や大島渚、竹中直人、豊川悦司・・・
二人の作品は、漫画業界以外の人たちにも大きな影響を与え、論評されるようになった。
白土さんの作品は63年、「思想の科学」で取り上げられたのを皮切りに、さまざまな雑誌で特集記事が組まれ、漫画を一つの芸術文化として論じる「マンガ評論」のきっかけとなった。
つげさんの作品についても67年以降、しばしば雑誌などで「つげ義春論」が交わされた。「不条理マンガ」「シュール漫画」などとも呼ばれ、心理学者の福島章さんや河合隼雄さんらも分析に加わった。「無能の人」(新潮文庫)のあとがきは、思想家の吉本隆明さんが書いている。
二人の作品の映像化に取り組んだ人も多かった。大島渚監督は67年、『忍者武芸帳』を映画化、「白土ブーム」に拍車をかけた。2009年には崔洋一監督による実写映画『カムイ外伝』もつくられた。
つげ作品では、NHKの敏腕ドラマディレクターの佐々木昭一郎さんが76年、「紅い花」を制作、国際エミー賞優秀作品賞を受賞した。俳優の竹中直人さんは91年、監督・主演で「無能の人」を映画化、ヴェネツィア国際映画祭で 国際批評家連盟賞。俳優の豊川悦司さんはテレビの「つげ義春シリーズ」で「退屈な部屋」などを監督、ギャラクシー賞を受賞した。「網走番外地」シリーズで大ヒットを飛ばしたベテラン映画監督の石井輝男さんも晩年、つげ作品に入れ込み、「ゲンセンカン主人」や「ねじ式」を撮っている。
「最高の漫画家」の栄誉
ところが二人は、ある時期から新作を発表しなくなった。つげさんは70年代以降、次第に寡作になり、87年の『別離』が最後の作品とされている。その後は「静かな生活」を続けていたらしい。白土さんも『カムイ伝』を未完のままで中断、房総半島で自給自足に近い生活を送っていた。
そして最晩年、二人に大きな違いが起きる。つげさんは2017年、第46回日本漫画家協会賞大賞を受賞。20年には欧州最大規模のマンガの祭典とされる第47回アングレーム国際漫画祭で特別栄誉賞を受賞。さらに22年には日本芸術院会員に選ばれた。
日本芸術院は、美術・文芸・音楽・演劇など芸術各分野の優れた芸術家を優遇顕彰するために設けられた国の栄誉機関だ。
この年、芸術院に新たに「マンガ」などの新分野が設けられ、つげさんと、ちばてつやさんが選ばれた。2022年2月22日の朝日新聞のデジタルによると、文化庁は、つげさんが推薦された理由について、発表資料で以下のように記している。
「人間存在の不条理や世界からの疎外を垣間見せる『文学的な』表現によって、自己表現としてマンガを捉える青年たちに絶大な影響を与えた」
「美術と文学の世界からも高い評価を集め、その作品を読み解く試みを誘発してマンガ評論の発展にも影響を及ぼした」
「まさに『芸術』としてのマンガ表現において日本を代表する作家」
つまり、日本の漫画家の中で最高位の人、だとしている。推薦に関わった外部有識者の中に、かなり強烈につげさんを推す声があったことがうかがえる。
一方、白土さんには晩年、大きな受賞歴はない。声がかからなかったのか、それとも内示は受けたものの何らかの理由で辞退していたのか――。
文化勲章などでも、過去に辞退した人がいたことは知られている。