タレントの「デヴィ夫人」ことデヴィ・スカルノさんが2026年7月3日、自身のフェイスブックを更新し、6月20日に死去した歌手の美輪明宏さんをしのんだ。デヴィ夫人は現在、元マネジャーの女性らに暴力を振るったとして暴行罪で起訴されており、テレビ番組から姿を消している。「激しい誹謗中傷にさらされ、まさに四面楚歌の日々を送っておりました」高齢のため仕事をセーブしていた美輪さんは、約3か月前に体調を崩して以降、自宅で静養を続けていたといい、老衰のため20日に91歳で死去した。デヴィ夫人は「美輪明宏様へ 追悼」と切り出し、美輪さんとの思い出を振り返った。「あなたと初めてお目にかかったのは、1966年11月頃のことでした」とし、「当時のインドネシアは、100万人以上もの尊い命が失われた激動の時代の渦中にあり、私自身もまた、日本で激しい誹謗中傷にさらされ、まさに四面楚歌の日々を送っておりました」と当時を回想した。クーデターで夫のスカルノ大統領が失脚した後、日本で生活していた当時「悪意ある噂や誤った報道を信じた人々の中には、右翼の男達が日本刀を振りかざし、『デヴィよ、日本から出ていけ!』と叫びながら家の周囲をトラックで巡回し、お手伝いさんは『お宅に売る肉はない』と言われる始末でした」という。「その温かなお心に、私はどれほど救われたことでしょう」デヴィ夫人は当時を「鳴り止まない嫌がらせの電話。窓を開けることさえためらう毎日。あの頃の孤独と恐怖は、今も忘れることができません」とし、「私に手を差し伸べ、守ってくださったお二人の恩人」がいたとした。一人は73年12月に亡くなった女優の浪花千栄子さんで、「箱根の別荘へ招いてくださり、雄大な富士山を前に『馬鹿野郎!』と大声で叫びなさい、と私を励ましてくださいました」とした。そして、もう一人が美輪さんだったという。「銀座ソニービル地下の『マキシム・ド・パリ』にお招きくださり、深い優しさで私を慰め、勇気づけてくださいました」「その温かなお心に、私はどれほど救われたことでしょう」と感謝し、「私にとって美輪さんは、尊敬する先輩であり、憧れの存在でした」と振り返った。「なんて美しい貴公子のようなお方なのだろう」デヴィ夫人は10代の頃、日本初のシャンソン喫茶「銀巴里」に立つ美輪さんを初めて見かけ、「『なんて美しい貴公子のようなお方なのだろう』と息を呑んだ」という。その後「時を経て新宿厚生年金ビルの隣に『巴里』というお店を開き、大きく胸元の開いた漆黒のドレスを優雅にまとわれた美輪さんのお姿は、息をのむほど美しく、妖艶で、まるで一枚の絵画のようでした」とした。また、若き日の美輪さんがボーイとして働いていたバー「ブランスウィック」で働く男性が「初恋の人」だったと明かし、「美輪さんとは懐かしい昔話に花が咲きました」としている。「私にくださった優しさと勇気は、今も私の心の中で生き続けています」美輪さんについて「唯一無二の美意識と哲学をお持ちでした」とし、「お言葉の一つひとつには深い真理が宿り、私は多くを学ばせていただきました。その教えは、私の人生を豊かにし、苦しい時には進むべき道を照らしてくれる灯火でもありました」と感謝をつづった。晩年には、多忙を理由として面会がかなわなかったといい、「もう一度お目にかかり、『ありがとうございました』と、心からの感謝を直接お伝えしたかった。それが叶わなかったことは、私の生涯の心残りです」と後悔をにじませた。美輪さんに向け、「美輪さん。あの時、あなたが 私にくださった優しさと勇気は、今も私の心の中で生き続けています。本当にありがとうございました」と感謝をつづり、「そして、間に合わなかったことを、どうかお許しください」と呼びかけた。投稿には、若き日のデヴィ夫人と美輪さんが並んだツーショット写真や、「徹子の部屋」で共演した際の写真が添えられている。
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