2026年8月29日、30日に放送される日本テレビ系『24時間テレビ49-愛は地球を救う-』。今年のチャリティーマラソンランナーを務めるのは俳優の星野真里。全身の筋力が低下する難病・先天性ミオパチーを患う長女を思いながら走ることを公表しており、その動機には多くの共感が寄せられた。一方で、番組が長年抱えてきた構造的な問題点も、開催が近づくにつれ改めて浮き彫りになっている。「感動の演出」という側面星野は「私の娘は先天性ミオパチーという筋肉の難病を患い、電動車いすや人工呼吸器を使いながら日々暮らしています」とコメントし、すべての子どもたちが分けられることなく居場所を選べる世の中になってほしいという願いから、娘のことを知ってもらいたい一心で走ることを表明した。俳優単独でのマラソンは22年ぶりだという。ただ、こうした「走る大義」がどれだけ丁寧に設定されようとも、走行距離そのものは結局のところランナーが走り切れる範囲で決められてきたというのが、これまでの実態だ。走れない距離が設定されることはなく、大義名分を掲げながらも、本番が近づくにつれて距離が調整されるケースが繰り返されてきた。しかも、エンディングぎりぎりで必ず到着するような「調整」も「細やか」。そこにあるのは「感動の演出」という側面で、純粋に「走る」ことができているとは言い難い。これは単なるマラソン大会ではない。カメラがランナーの「苦闘」を長時間追い続け、最後にゴールするまでをひとつの物語として見せるテレビ企画だ。そして、その裏には常に「視聴率」という数字がついて回る。そもそもチャリティーマラソンは、『24時間テレビ』の視聴率が低迷していた時期の打開策として始まったという経緯がある。現在はチャリティーの象徴として定着しているものの、「走ること」と「寄付すること」の結びつきは決して自明ではない。星野が長女への思いを伝えたいのであれば、その意義に疑いはない。だからこそ、その思いを毎年恒例のマラソンという形に落とし込む必要が本当にあるのかは、別途考えるべきだろう。今年も「ランナーが走り、最後にゴールする」という光景が繰り返される。長年続いてきたから今年も続ける――。もし制作陣にとっても、そんな「恒例の業務」としてこなすだけの企画になっているのだとすれば、何のために走り、何を視聴者に伝えたいのか、今こそ改めて問い直す時期に来ているのではないだろうか。(川瀬孝雄)
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