2024年 4月 20日 (土)

スーパースター★の死から29年 暑いからこそ聴きたいレゲエ

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ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ
ナッティ・ドレッド+1
UICY-94589
2800円
7月21日発売
ユニバーサルミュージック


   暑すぎる夏とくればレゲエ――こんな風に言われるようになったのは1980年代も後半だったような気がする。それまで日本でのレゲエはワールド・ミュージックの範疇で、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズを筆頭に、いまではアーリー・レゲエとかルーツ・レゲエと呼ばれる音が主流だった。筆者にとっては、いまだにレゲエといえばこの時代のものだ。

   日本にレゲエが登場したのは、1970年代に入ってから。ポール・サイモン、ジョン・レノン、エリック・クラプトン、ロバート・パーマーといったアーティストがボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズ、トゥーツ&ザ・メイタルズなどのレゲエ楽曲をカヴァーし、洋楽好きのリスナーに知られるようになったのだ。1973年公開の、ジミー・クリフ主演のレゲエ・ムービー『ハーダー・ゼイ・カム』も日本人がレゲエを知る大きなきっかけになった。

   ザ・ウェイラーズというグループは、紆余曲折はあったものの、結局ボブ・マーリーとピーター・トッシュ、バーニー・ウェイラー3人のグループ。レゲエ特有のリズムを楽曲にしたのは67年のことだった。やがて、ピーター、バーニーが離れ、1974年からボブを中心としたボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズとなった。

専属シェフを連れていたボブ・マーリー

   レゲエと呼ばれる音楽は、リズムを特徴とするが、元々はマーカス・ガーベイが唱えたアフリカ回帰運動=ラスタファリズムと密接な関係がある。簡単にいえば、貧しい奴隷移民であったジャマイカの黒人達の政治的、民族的、思想的抵抗運動のひとつの現れこそがレゲエだった。

   1979年、ボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズが来日公演を行った。筆者は渋谷公会堂でそのステージに触れ、インタビューのために浜松まで出向いた。結局、会うことはできたもののインタビューはできなかった。菜食主義者のボブ・マーリーは専属のシェフを連れてきていたことを思い出す。

   今年はボブ・マーリー生誕65年、来年は病死して30年。もうそんなに経つのかと、改めて時の足の速さに驚くのだが、今年7月にボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズの11作品が、紙ジャケットのSHM-CD化されて発売された。すでに売り切れで手に入らないものもあるが、いまさらと言われそうだがお勧めする。

   個人的にはピーター、バーニー脱退後最初のアルバムとなった75年作品『ナッティ・ドレッド+1』が良い。これはまだ手に入るようだ。

加藤 普

【ナッティ・ドレッド+1  収録曲】
1. ライヴリー・アップ・ユアセルフ
2. ノー・ウーマン、ノー・クライ
3. ゼム・ベリー・フル
4. レベル・ミュージック
5. ソー・ジャー・セイ
6. ナッティ・ドレッド
7. ベンド・ダウン・ロウ
8. トーキング・ブルース
9. レヴォリューション
10. アム・ア・ドゥ(ボーナス・トラック)

<7月21日発売のSHM-CD(紙ジャケ)化作品>
UICY-94585/6 『キャッチ・ア・ファイアー <デラックス・エディション>』
UICY-94587/8 『バーニン+17 <デラックス・エディション>』
UICY-94589  『ナッティ・ドレッド+1』
UICY-94590  『ライヴ!+1』
UICY-94591/2 『ラスタマン・ヴァイブレーション+21 <デラックス・エディション>』
UICY-94594  『カヤ+1』
UICY-94595  『バビロン・バイ・バス』
UICY-94596  『ザヴァイヴァル+1』
UICY-94597  『アップライジング+2』
UICY-94598  『コンフロンテイション+1』
UICY-94613/4 『エクソダス <デラックス・エディション>』

◆加藤 普(かとう・あきら)プロフィール
1949年島根県生まれ。早稲田大学中退。フリーランスのライター・編集者として多くの出版物の創刊・制作に関わる。70~80年代の代表的音楽誌・ロッキンFの創刊メンバー&副編、編集長代行。現在、新星堂フリーペーパー・DROPSのチーフ・ライター&エディター。

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