稀代の「自由人」で伝説の画家は、本当に"自由"だったのか?
2013.03.07 11:20
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「自我に正直であろうと試みた」
まことは戦後、草野心平主宰の「歴程」同人となって詩作したり、山岳雑誌「アルプ」「山岳」などに画文を寄稿したり。山歩きやスキー、はては金鉱掘りなど多彩な趣味を持ち、話術の名人として女性ファンも多かった。草野をはじめ、竹久夢二の息子・不二彦、山本夏彦、矢内原伊作、串田孫一など人間関係も幅広く、傍目には「人生の達人」のようなライフスタイルだった。
だが……。著者はまことの父親・潤について、国家が利益確保にしのぎを削る近代社会への従属・献身を拒否し「外観的にも内面的にも惨憺たる生き方」だったと記す一方、多彩な才能を活かして父親と正反対の生き方を歩んだように見える息子についても、「不屈の自由人」という意味では父親と同根だったとつづる。
辻まことと社会との関わりについて、「辻潤や大杉栄のように真正面から壁にぶつかるのではなく、摩擦をかわそうとした」「言葉や絵筆、楽器を操って自前の小宇宙をつくることで自我に正直であろうと試みた」と著者は評す。