2024年 5月 5日 (日)

【霞ヶ関官僚が読む本】
「平民宰相」原敬、マルクス主義的歴史観による評価もなお別格の政治家

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「明治の政治家たち―原敬につらなる人々―」(服部之総著、岩波新書)

   服部之総(はっとり・しそう)は、昭和初期から戦後にかけて活躍した日本近代史家。羽仁五郎等とともに、マルクス主義全盛期に刊行された「日本資本主義発達史講座」の主要寄稿者であり、いわゆる「講座派」の中心メンバーである。バリバリのマルクス主義者の彼が、「たれにもすききらいはあるものだが、明治大正の政治史をひもどいて、傾倒することのできる人物―(中略)全力を挙げて書いてみたいと言う衝動のうえのことであるが―といえば、大久保利通・星亨・原敬の三人くらいのものである」「政友会総裁原敬の生涯には、その大久保と星の宿命が統一されているのである」と本書のまえがきで原敬への思いを述べている。

立憲政治確立が生涯の政治的目標

明治の政治家たち上巻(左)と下巻
明治の政治家たち上巻(左)と下巻

   岩波新書上下二冊、上巻は昭和25年、著者の健康状態が原因で5年ほど間が空き、下巻刊行は吉田内閣退陣と同時期の29年末、服部の没年は昭和31年である。昭和期のマルクス系の学者たちは殊更に文章を難しく書くことを好み、現代の我々が読み通すのはしばしば難渋するが、服部の歴史エッセイの文章は、職業歴史家とはことなり(彼は、共産党弾圧後は、アカデミズムからは遠ざかり花王石鹸に籍を置いていた。)、時に独断的とも思えるほどの明快さと、小気味よい語り口を持っており、一読巻を措く能わず、読後も鮮烈な印象が持続する。同じ講座派の羽仁五郎による名著の誉れ高い岩波新書赤版「ミケルアンヂェロ」よりも、自分は、本書の方が楽しめると思う。

   「原敬につらなる人々」という副題が示す通り、服部は、明治大正の政治史の流れの行き着くところ、原敬という賊軍南部藩出身の純血種郷士にその本質が顕現するという見地に立って論を進めている。冒頭に原敬を表題とする章を置いて彼の出生について語ったのち、陸奥宗光、星亨、伊藤博文、板垣退助、大隈重信、山形有朋、桂太郎、西園寺公望、そして最後に再び原敬を取り上げる評伝形式をとっているが、それぞれの章では特に表題の人物を中心に描くのではなく、自由民権運動の頂点から国会開設、藩閥内閣の全盛と、民党・吏党の対立、日清日露を経て桂園時代が到来し、原敬の権勢が確立する辺りまで、政治史の流れを緻密に追いながら、表題の人物を含む、明治の主要な政治家たちの人物スケッチを織り交ぜて飽きさせない。

   マルクス主義者服部の見るところ、明治時代はブルジョア革命前の絶対主義時代であり、その代表的政治家である原敬は、若年においてすでに後年の政治的座標を確固たるものにする見地を有していた。すなわち、「後世おそるべき老成の絶対主義的見識......かかる見識はこれ以上ぜったい発展しない。(中略)なぜならそれは事物の核心をその見地から把握し、その見地からはもはやこれ以上の把握はありえずかつそれで充分であるほどに徹したものであるからである」という評価であり、原敬在世中の番記者であり、「原敬伝」上下を著した前田蓮山がその典型であるように、賊軍出身の立場から、薩長藩閥政治を打破して、立憲政治を確立することを生涯の政治的目標とした、爵位を持たぬ「平民宰相」像とは異なった原敬を描こうとしている。

「現実政治家」「力の政治家」としての原敬像の先駆

   しかし、服部にマルクス主義的歴史観に基づく原敬の史的評価の位置付けへのこだわりはあったとしても、実際に読者の印象に残るのは、伊藤や陸奥など、並み居る明治の元勲を凌駕する卓越した政治力を備えた「政治家」原敬の姿である。職業政治家としての矜持を持ち、現状認識の確かさに裏打ちされた決断により、山県閥や貴族院の牙城を確実に突き崩し、しかも彼らを利用するしたたかさ。自らの権力基盤である政友会を、政権担当能力を持つ国民政党に脱皮させる手腕。原敬の面目躍如である。同時代の人、尾崎行雄の「近代怪傑録」を読むと、原敬に対する冷淡な記述が目につくが、(尾崎の議会人としての価値は認めるにしても)所詮政治家としての格が違うと痛感される。近現代日本の政治家の中でも原敬ならば、シュミットやウェーバーなどの政治家像に基づく評価にも耐えうるのではないだろうか。

   戦後間もなくの時期に、服部が描いた原敬が、テツオ・ナジタや三谷太一郎らが提示し、その後、一般的となった「現実政治家」「力の政治家」としての原敬像の先駆となっているのは間違いない(岡義武などは、戦後の原敬評価の高まりを否定的にとらえ、西園寺に重きをおいているが。)。この服部が作り上げた原敬のイメージを裏打ちしたものが、「原敬日記」の公開である。下巻のあとがきを読めば明らかだが、上巻執筆時には、「数十年の後は兎に角なれども当分世間に出すべからず余の遺物中此日記は最も大切なるものとして永く保存すべし」との遺言を尊重し、「原敬日記」は一部を除いて公開されていなかった。服部は、上巻で原敬を扱うための材料として主に前述の前田蓮山の著書を活用している。しかし、5年のブランクを経る中で、服部自身も関わる形で原奎一郎等による「原敬日記」の刊行がはじまった。政治家として脂がのり、桂園時代の政界を自在に動かす原敬の活躍が、下巻最後の三章の中心主題となるが、そこでは日記からの引用が効果的に用いられている。

これからの職業的エートスに思いをいたすために...

   服部曰く「明治の政治という碁盤のうえで、原敬が名人位を占めているという評価は、本書上下で私が与えんとしたものである。「原敬日記」というぼう大な棋譜が途中で出なかったとしたら、私はこの下巻にかつて考えた如く、かれの死までを過不及なく盛ることができたかもしれない。(日記が公刊されたのだから―筆者注)そこで、あとは棋譜について、読者おのおの調べてみてくださらんことを」。まさに然り。「原敬日記」は、日本の政治家が残した日記中でも白眉である。原敬が職業としての政治に最も自覚的な政治家の一人であったのは間違いない。蓄財もせず生命の危うきを顧みず、週末には腰越のささやかな別荘で孜々として日記を書き継ぐ彼の職業的倫理観は、明治期のエリートの一類型として、武士的エートスと若き日に入信したキリスト教の混交によってもたらされたものか。吉野作造は、あまりに現実主義的な政治遊泳術に長けていることから、その力量は評価しつつも政治家としての原には厳しかったが、原が凶変に倒れた後、彼の寝室に飾られていた聖母像について前田蓮山に問い合わせたという。

   ともあれ、大部の原敬日記に取り組むことは多忙を極める今日なかなか難しいことだが、この昭和期のマルクス主義者によるビスマルク的大地主宰相もしくは「南部の鼻曲がり」をめぐる政治史のよみものを読むことは、我らの時代の出発点を見極め、これからの職業的エートスについて思いをいたすためにも幾分か裨益することになるだろう。

孤舟記

【霞ヶ関官僚が読む本】 現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で、「本や資料をどう読むか」、「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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