認知症克服の道筋を示す希望の書

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   ■「アルツハイマー病は治せる、予防できる」(西道隆臣、集英社新書)

   最近、しばしば 「人の名前が覚えられない」、「思ったことが言葉として出てこない」など、記憶力の衰えを感じる。「ついうっかりが多い方へ」といったサプリメントの広告も、以前なら鼻で笑っていたが、ちょっと本気で考えてみるかという気持ちにすらなる。

   連れ合いとの会話も、お互い固有名詞や一般名詞抜きで、「あれ」、「それ」を多用しながら済ましていることにふと気がつき、「認知症」という言葉が決して他人事ではなくなっていることに気づかされる。

   評者が旧厚生省に入省した30年前、認知症高齢者(当時は痴呆性老人と呼称)の問題が注目され始め、初めて報告書がまとめられた(痴呆性老人対策推進本部報告)。当時(1985年時点)の認知症高齢者は59万人、これが30年後には185万人に急増すると推計されていた。 しかし、30年を経ないうちにその数は462万人(2012年)となり、団塊の世代が後期高齢者に到達する2025年には約700万人(高齢者の5人に1人)に達すると推計されている。

   今や認知症に要する医療・介護費用は年間14兆円を超えるとされ、認知症問題は個人にとっても社会にとっても避けて通ることのできない切実な課題となっている。

   本書は、認知症の7割を占めるとされるアルツハイマー病研究の最前線に立つ科学者による最新リポート。平易な言葉で、わかりやすい上に、2025年には「アルツハイマー病は治せる、予防できる」と語る希望の書である。

「アルツハイマー病は治せる、予防できる」(西道隆臣、集英社新書)
「アルツハイマー病は治せる、予防できる」(西道隆臣、集英社新書)

アルツハイマー病の発生メカニズム――脳細胞にゴミが溜まり、脳の機能が失われる

   休みなく働く私たちの脳の細胞では、常にゴミ(アミロイドβ:タンパク質の一種)が出ている。脳にもゴミの処理システムがあり、脳内で分泌される酵素(ネプリライシン)によって分解され、血液中に流されていくが、加齢に伴って、この酵素の働きが弱くなったり、この酵素自体が減ってしまうことにより、機能しなくなっていく。その結果、脳細胞にゴミが溜まり、次第に脳細胞はその毒にやられて死滅してしまう。こうした状況が繰り返されることで、細胞死が起きた部位が担っていた脳の機能が失われ、認知症の症状が発生する。アルツハイマー病はざっとこういうメカニズム(アミロイド仮説)で生じるという。

   このメカニズム、加齢が原因だから、特定の誰かに起きているのではなく、だれの脳でも起きている。認知症は全員がなり得る病いであり、異なるのは、若くして発症するか、認知症が発症する前に別の病気で亡くなるかの違いに過ぎない。90歳まで生き延びた方をみると、実に2人に1人以上が認知症を発症している。

100年以上を要した発生メカニズムの解明

   世界で初めてアルツハイマー病が報告されたのは、今を遡ること110年前のこと。1906年にドイツのアルツハイマー博士によって50歳代前半で発症した女性(アウグステ・D)の症例が報告されたのが最初である。その解剖結果から、アウグステ・Dの脳は、①萎縮しており、②大脳皮質の全域に「顆粒状の病巣」(老人斑)が広がり、③その内部に「線維の緻密な束」(神経原線維変化)が認められた。

   今日も通用する、このアルツハイマー病の3要素は、既に第一例の段階で正確に把握されていたが、アルツハイマー病の発生メカニズムの把握には、思いのほか長い年月を要し、アミロイド仮説がほぼ確定的となったのは、ゲノム解析によって、アルツハイマー病を防ぐ遺伝子変異が発見された2012年だという。

   この結論に至るまでの間、現在の数少ない治療薬の一つであるアリセプト(コリンエステラーゼ阻害剤)を生むきっかけとなったアセチルコリン仮説や、もう一つの治療薬メマリー(NMDA受容体拮抗薬)の根拠となったグルタミン酸仮説も俎上に載った。しかし、いずれも症状の発現を説明する仮説に過ぎず、アルツハイマー病それ自体の原因や発生のメカニズムを説明するものとはならなかった。

   本書では、この110年間、アルツハイマー病研究が技術の進歩に応じて、一歩一歩進んできた歴史を、謎解きのように、わかりやすく教えてくれる。

   ・1960年代に病理研究に電子顕微鏡が導入され、老人斑や神経原線維変化の微細構造が明らかになり、それまで「初老期の痴呆症」と考えられていたアルツハイマー病が高齢者の「老年痴呆」と同じ病気であることが判明した

   ・1980年代には病理生化学のアプローチにより老人斑(アミロイドβ)のアミノ酸配列が明らかとなり、アミロイドタンパクの断片であることが判明した

   ・1990年代以降、家族性アルツハイマー病家系の遺伝子解析が進み、アルツハイマー病の原因遺伝子が立て続けに発見された

   確かに時間はかかったが、一つ一つの新たな技術が、今日のアミロイドβ仮説を導いてきたのである。

治療法開発へ独自のアプローチ――アミロイドβの分解をめざす

   現在使用されているアリセプトにせよ、メマリーにしても、あくまでもアルツハイマー病の進行を遅らせる効果を持つ対処療法に過ぎない薬であって、「治す」薬ではない。

   1990年代後半になって、ようやくアルツハイマー病の最上流にあるのがアミロイドβであるとの仮説を多くの研究者が支持するに至り、世界各地で根本治療法の開発が本格的に始まった。

   しかし、残念ながら、現時点ではまだ成功した治療法はない。

   ワクチン療法も免疫療法も、重篤な副作用が生じた、効果が認められなかったなどの理由で、ゴールに辿り着いていない。また、アミロイドβの「産出」を抑制しようとする阻害薬の開発も多くの製薬会社がチャレンジしているが現段階ではいずれも失敗している。

   そんな中で、著者が所属する理化学研究所脳科学総合研究センターは、アミロイドβの「産出」抑制ではなく、「分解」を促進するという、全く異なるアプローチで治療法の開発を進めている。つまり、脳細胞から出てくるゴミの量を減らすのではなく、脳内のゴミ回収システムを再生しようという試みである。

   筆者が率いるチームは、気の遠くなるような根気のいる繊細な作業を繰り返し、アミロイドβ分解の仕組みを解き明かし、その分解酵素「ネプリライシン」を特定した。マウスの実験によれば、このネプリライシンは、脳内のアミロイドβを減らすだけでなく、記憶や認知機能の改善も見込めるとの結果が出ており、これを活性化できればアルツハイマー病の本格的な治療や予防が可能になるのではと期待されている。

   こうした成果を基に、今は、①注射によりネプリライシン遺伝子を導入する遺伝子治療法と、②飲み薬により薬理学的にネプリライシンを活性化させる治療法の2つの開発を進めているという。

   「2025年には、アルツハイマー病の根本治療法を実用化したい」というのが著者の目標だ。加えて、治療研究の加速のためにも、バイオマーカーの探索と体外診断薬の開発も実現したいという。

   「協調と競争」、著者は、このアルツハイマー病の研究を進めるに当たっての理念としてこの言葉を掲げる。研究はひとりではできない。チームであたり、国内外の機関と共同研究が必須だという。これから先も、まだまだ幾多の困難が待ち受けていようが、著者の力強いリーダーシップの下、一日も早く、世界中が待ち望む根本的治療法と予防法が開発される日が来ることを期待したい。

ペンネーム 

JOJO(厚生労働省)

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。

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