2020年 12月 5日 (土)

音楽の都ウィーンで挫折を味わったショパンが
パリに携えていった物語「スケルツォ第1番」

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   アメリカが大統領令で特定の国の人たちの入国を一時禁止し、イギリスがEUから脱退手続きを進める現在の状態は、数年前の人に、「数年後はこうだよ」と説明しても信じられないかもしれません。それほど、現代も政治状況はめまぐるしく、かつドラマチックに推移するわけですが、200年ほど前のヨーロッパは、さらに大変な状況でした。現代でも、大国に挟まれた小国、というのは苦労しますが、今日の主人公、ショパンの祖国ポーランドは、ロシアとドイツ、オーストリアという当時の大国に挟まれて、大変な歴史を経験することになります。

    今日は、若きショパンが書いた、「スケルツォ第1番」を取り上げましょう。

  • ショパンの肖像
    ショパンの肖像
  • スケルツォ第1番の冒頭楽譜 激しい和音から始まる
    スケルツォ第1番の冒頭楽譜 激しい和音から始まる
  • ショパンの肖像
  • スケルツォ第1番の冒頭楽譜 激しい和音から始まる

1年以上滞在も成果はさっぱり

   ワルシャワ郊外に、フランス移民の子供として1810年3月1日に生まれたショパンは、恵まれた少年時代を過ごします。幼いころから音楽の才能を発揮したショパンはワルシャワ音楽院に進み、校長先生自らの教えを受けて、最優秀で、16歳で音楽院を卒業しました。周囲が、彼の才能は欧州の田舎であるポーランドで埋もれさせるには惜しい、と考え、外国に活躍の舞台を求めるよう、彼に勧めます。そこには、ポーランドが事実上ロシアの支配下にあり、日々圧迫を受けており、それに反発する人々が反乱を起こし、鎮圧され、政情が不安定になる可能性を人々が感じていた、という理由も入っていたようです。

   若きショパンは今も当時も「音楽の都」であった帝都ウィーンを目指します。以前、シューマンの回でも取り上げましたが、ウィーンは現在の「小国」オーストリアの首都ではなく、ハプスブルグ帝国の帝都で、音楽的にも、ビジネス的にも、音楽家にとっては憧れの地だったのです。ショパンも自分の名を国際的に有名にするために、勇躍乗り込んだわけですが・・・結論から言えば、1年以上滞在したにも関わらず、成果はさっぱりでした。

   当時のウィーンは、ナポレオン没落後の「ウィーン体制」の時代で、当局の締め付けが厳しく、シュトラウスに代表されるような軽めの「ウィンナ・ワルツ」のような音楽ばかりが流行し、真剣な芸術が受け入れられにくい状況だったということと、ポーランドという看板を背負ってウィーンに出てきたショパンに反感があったのです。現在では考えられないことですが、当時のオーストリアの人にとって、ポーランドは、「大国ロシアに盾突く生意気な小国」という位置づけで、ハプスブルグ帝国としては、「大国」ロシアに圧倒的に親近感を覚えていたのです。帝国内の反抗する小国に比べられてしまったのかもしれません。ショパンは、ウィーンでは「政治的に反感を買ってしまった」のです。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミ エ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソ ロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラ マ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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