温故知新 「法隆寺の鬼」から学ぶ仕事への姿勢
日光東照宮さえ、醜悪な建物
飛鳥の大工は、一体、どうやって現代の学者も敵わないほどの技量を身に着けたのか。戦時中に大陸を歩いた棟梁の見立てでは、法隆寺は中国の建築とは異なるという。渡来した技術でないならば、この列島に住まう人々が永い年月を木と共に過ごして会得した技がベースであろう。
ここで評者は三内丸山遺跡で見た巨木の構造物を想起する。往時は鬱蒼たる照葉樹林が列島を覆っていたのだろう。縄文から連綿と続く巨木文化があったとすれば、そこに大陸からの新たな技術が吹き込まれ、この列島に独自の建築様式をもたらしたと想像される。巨木が切り尽くされ、その性質を知り尽くした文化もまた消え去り、後に残ったのはその残滓と外来建築技術の模倣、となったのかも知れない。
棟梁の言葉に耳を傾けていくと、そんな空想も芽生える。そうした視点から伊勢神宮や出雲大社と法隆寺を比較してみるのも一興かも知れない。
だが、千年単位の樹齢のヒノキの巨木は、もはや日本には存在しない。ために堂塔の資材を求め台湾の山に入った棟梁の心中はいかなるものであったろうか。
棟梁の批判の矛先は、学者のみならず政治、役人や芸術家にまで及ぶが、腑に落ちる話が多い。現代社会が見失った何か極めて大切なものの存在を、棟梁は木を活かすという一事を以て語り切るからだろうか。古代の素晴らしい技術が失われ、時代が下るに従い寸法や規格ばかりが幅を利かせ、それぞれの木の個性を生かさない建築が横行していく様を嘆く棟梁からすれば、日光東照宮さえ、醜悪な建物となる。江戸の職人も形無しだ。
奇をてらった現代建築が彼の目にどう映っていたか。推して知るべし。
酔漢(経済官庁・Ⅰ種)