吉田拓郎、もう「つま恋」はないのか
あの夏の日の永遠の主人公

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   タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   [あの夏の日の主役たち・4 吉田拓郎]

   夏が野外コンサートの季節として広まっていったのは1970年代になってからだ。

   69年にアメリカでウッドストックが開催、約45万人という想像を絶する若者達が集まって行われた。アメリカやイギリスで始まったそんな音楽の祭典が日本の音楽好きな若者を刺激しないはずがない。

   とは言え、ロックやフォークは、まだ一部の若者たちの音楽で商業的な認知もされていない。そうしたイベントのノウハウもなければ、何よりも、そんな多くの観客が集まるはずもなかった。当時最大規模のコンサート会場は東京の武道館。それですら夢のまた夢という時代だった。一度に数万人を集め、しかも野外というシチュエーションは、ありえないこと以外の何物でもなかった。

  • 「コンサート イン つま恋 1975」(フォーライフミュージックエンタテイメント)
    「コンサート イン つま恋 1975」(フォーライフミュージックエンタテイメント)
  • 「Forever Young Concert in つま恋」(インペリアルレコード)
    「Forever Young Concert in つま恋」(インペリアルレコード)

「人間なんて」の大合唱が夜明けの地平線を揺るがしていた

   1975年8月2日から3日にかけて、静岡県掛川市の「つま恋」多目的広場で行われた吉田拓郎とかぐや姫の「コンサート・イン・つま恋」は、そんな"ありえないこと"が成功した、最初の例だった。

   それ以前にも野外イベントがなかったわけではない。69年から3年間にわたって、岐阜県中津川市で「全日本フォークジャンボリー」、74年には福島県郡山市で「ワンステップフェスティバル」が行われている。

   前者は、当時の関西フォーク中心で「商業主義に縛られない手作りのお祭り」を旗印として始まり、3回目には、岡林信康、高田渡、遠藤賢司、はっぴいえんどら関東関西のフォーク・ロック系アーティストの大半が集結、観客も約2万人が集まるまでになった。

   後者は、ウッドストックに感動した地元の30代半ばのブティックのオーナーが私財を投げ打ったもので、「街に緑を・若者に広場を・そして大きな夢を」というスローガンで、サディスティックミカ・バンドやキャロル、オノヨーコら内外のロック系バンドやアーティストが参加した約一週間のイベントだった。

   ただ、「全日本フォークジャンボリー」は、「商業主義粉砕」を叫ぶ若者に舞台を占拠されて中止、「ワンステップフェスティバル」は、莫大な赤字を残すというホロ苦い結末に終わってしまった。

   そういう意味でも「つま恋」は「成功した野外イベント」の最初の例だった。

   観客動員は6万人とも7万人とも言われている。正確な数字は誰も把握してない。今のようなチケットシステムがなく、主宰のユイ音楽工房のスタッフが、発売先のレコード屋などを回って回収していたからだ。一週間前から会場付近でテントを張りキャンプする集団も出現。新幹線の駅もなかった掛川市の当時の人口を超える若者が集まった。

   開演17時、吉田拓郎の「朝まで歌うよ!」という言葉は音楽シーンに残る名台詞となった。終演は翌日の4時半過ぎ。最後の曲は「人間なんて」。誰も経験したことのないオールナイトの興奮にトランス状態になった6万人以上の観客が合唱するフィナーレの「人間なんて」は白々と明け始めた地平線を揺るがしていた。

   筆者が見ていたのは、客席最前列とステージの間に敷かれている撮影用のレールの端にでだ。何でそんなところで見ていたのかが判明したのは、かなり後のことだ。

   それは、もし興奮した客が押し寄せてきたら、スタッフと一緒に柵を押さえてステージを守るためだった。

75年のつま恋は怖かった、と拓郎

   70年代は、そういう時代だった。

   吉田拓郎は、71年の第三回「全日本フォークジャンボリー」に出演している。翌年、「結婚しようよ」が大ヒットした時に、教条的なフォークファンから「裏切り者」呼ばわりされ「帰れ!」と投石されるという経験もしている。アルコールも入った数万人の観客が群集心理に駆られた時にどうなるか。彼が、75年の「つま恋」を、「怖かった」「始まってからのことはほとんど覚えてない」というのも、きっとその通りなのだと思う。

   吉田拓郎は、79年に愛知県篠島でやはりオールナイトコンサートを成功させている。人口約2000人の離島をほぼ借り切り10倍の観客が集まるという野外イベントは、史上初だ。85年には、2回目の「つま恋」を単独で行った。彼が70年代に関わった縁のミュージシャンが総結集した一夜は一つの時代の締めくくりのようだった。

   吉田拓郎と「つま恋」――。

   そんな特別な関係を決定づけたのが、2006年の「吉田拓郎&かぐや姫・Concert in つま恋2006」だった。

   その年の4月、彼は60才になった。

   彼は2003年、57才の時に肺がんの摘出手術もしている。リハビリを終えて復帰して以降続けてきたツアーのファイナルが31年ぶりの「つま恋」だった。

   2000年代に入り、フジロックを筆頭に夏フェスは夏の風物として各地で開催されるようになった。若者のためと思われている野外イベントを60才になって行う。観客も決して若いとは言えない。コンサートからも遠ざかりつつある大人が、決してアクセスが良いとは言えない場所まで足を運んだりするだろうか。彼自身の体調も含め、不安材料には事欠かなかったと言って良いだろう。

   若い頃の自分をどう超えて行くのか。

   ステージを楽しむことも出来ず、ほとんど覚えてないという75年とは違う充実した野外イベント。13時に始まったライブの一曲目はかぐや姫と一緒の「旧友再会フォーエバーヤング」。穏やかな笑顔で客席を見渡し、気持ち良さそうに歌う姿に75年の彼はいなかった。

   客席の平均年齢49才。約3万5千人が集まり、約8時間半に及んだ「大人の祭り」は、日本のコンサート人口動態の変化の先取りでもあった。

   吉田拓郎は、去年、70才を迎えた。

   もう夏の野外コンサートのステージで見ることはないのかもしれない。

   でも、「あの夏の日」の永遠の主役が、彼であることに変わりはないのだと思う。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール

タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーテイスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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