2024年 4月 30日 (火)

故郷ボヘミアを思い続けたドヴォルザーク スラヴ的哀愁に満ちたピアノ三重奏曲「ドゥムキー」

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   今日は、チェコを代表する作曲家アントニン・ドヴォルザークの室内楽、ピアノ三重奏曲   第4番   Op.90「ドゥムキー」を取り上げましょう。

  • 楽譜にはドゥムキートリオと表記されることが多い
    楽譜にはドゥムキートリオと表記されることが多い
  • スラヴ的哀愁に満ちた旋律があちこちに…これは第4楽章の冒頭
    スラヴ的哀愁に満ちた旋律があちこちに…これは第4楽章の冒頭
  • 楽譜にはドゥムキートリオと表記されることが多い
  • スラヴ的哀愁に満ちた旋律があちこちに…これは第4楽章の冒頭

無類の鉄道好きだった

   1841年、現在ではチェコの首都となっているプラハの北30キロほどの小さな町に生まれたドヴォルザークは、苦学して音楽の道に進みました。実家の両親は音楽を職業にすることに反対し家業の食料品店を継がせたかったのですが、彼の才能に着目した音楽の教師たちが少年にプラハに出て学び続けるよう勧めたのです。

   この時のプラハはまだハプスブルグ家の帝国の一都市に過ぎず、チェコ民族主義の高まりはあったものの、首都となるのはオーストリア帝国が崩壊する第1次大戦後と、まだまだずっと後のことでした。

   余談ですが、ドヴォルザークは、無類の鉄道好きとして知られますが、これは、当時のオーストリア帝国の政策で、北のプロイセンに対抗して国の隅々にまで鉄道建設が推進されたため、彼の生家のすぐ裏に、まだ物珍しかった線路が施設されて汽車が走り、幼少期からそれを眺めていたことが影響している・・との説があります。

50歳で決断、新天地米国へ

   プラハで、最初は弦楽器奏者として、それから音楽教師として、プロ活動を始めたドヴォルザークは、コンクールに応募するために大規模な作品を作曲し始めます。次第に頭角を現したドヴォルザークは帝都ウィーンで活躍していたブラームスなどにも認められ、人気作品を生み出していきます。それらの作品は、出版社の意向も入っていたとはいえ、彼自身の故郷、ボヘミアの「スラヴ的」旋律にあふれていて、それが当時の風潮に受け入れられて大ヒットとなるのです。すなわち、ウィーンなどの音楽中心地の聴衆にとっては、「周辺国」のエキゾチックな文化が物珍しく響き、チェコなどまだ独立前の「周辺国」住民にとっては、自分たちのアイデンティティーを確認するよりどころとなったのでした。

   ドヴォルザークは、チェコを代表する作曲家となり、円熟期を迎えます。有名になると、国外に招かれることも多くなり、特に英国には何度も足を運んで演奏などを行ったり、現地で出版契約を結んだりしましたが、彼の気持ちは常にボヘミアとともにありました。そして、ボヘミアは、言語的にもスラヴに属する、ということで、彼の作品にはつねに「スラヴ的なもの」が感じられ、人々も、それを期待したのです。

   いくら活躍しても、チェコを動こうとしなかったドヴォルザークですが、50歳の時、新興国米国から音楽院に招聘される話が舞い込みます。一旦は断ったものの、子沢山のドヴォルザークは、提示された破格の給料にも、そして、新興国米国の鉄道にも魅力を感じ、ついには米国行きの決断をします。

「スラヴの魂」を込めた曲

   その同じ年、つまり、祖国チェコを離れる年に完成したのが、ピアノ三重奏曲   第4番「ドゥムキー」でした。それまでに書いたピアノ三重奏曲がいずれも伝統的な4楽章スタイル、つまり「ドイツ的形式」を持っていたのに対し、「ドゥムキー」は何と全6楽章、そして、いずれも印象的な旋律がヴァイオリンにも、チェロにも、ピアノにもそれぞれ登場し、全体として「ボヘミアの哀愁」を感じさせる、大変魅力的な室内楽作品になっています。ピアノ奏者の私の観点から見ても、この曲は他のピアノ三重奏に比べて圧倒的に3人が平等かつ複雑に役割分担をしており、よく他の曲に見られる「弦楽器   対   ピアノ」的構図を安易に採用していないのです。

   タイトルの「ドゥムキー」は「ドゥムカ」の複数形で、「ドゥムカ」とは、ウクライナ起源の吟遊詩人が歌う叙事詩、または多くのスラヴ語で「思い」や「瞑想」といった意味の言葉であるとも言われています。ドヴォルザークは、「ドゥムキー」作曲の3年前、プラハを訪れたロシアの作曲家、チャイコフスキーの知遇を得、その招きに応じて1890年、前年にはモスクワとサンクトペテルブルクを訪れています。おそらく、そこで、ロシアやウクライナの文化に触れ、「スラヴとは何か」と考えたものと思われます。(ちなみにチャイコフスキーも「ドゥムカ」という名を持つピアノ曲を作曲しています。)。

   円熟期のドヴォルザークが、ついに祖国を離れて一時的にせよ、新大陸に渡ることを決断した時に書いた「スラヴの魂」を込めた曲、それは、「スラヴ」を売りにしようという営業政策的打算ではなく、新大陸に旅立つ前に、真に彼が祖国とスラヴ文化を考えた時に誕生した旋律・・・「ドゥムキー」を聴くとそんな想いがわいてきます。

   ちなみに、彼が新大陸で作曲した代表的交響曲のサブタイトルも「新世界『より』」であり、これは後半を補うと、「新世界『より』祖国へ」なのです。チェコに生まれ、チェコと鉄道をこよなく愛したドヴォルザークの「ドゥムキー」も、ぜひ聴いてみてください。

本田聖嗣

本田聖嗣プロフィール

   私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でピルミエ・ プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目CDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを 務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。
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