2018年 9月 20日 (木)

障害者も東大生もレッテルをはがしてみると・・・

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■「障害者のリアル×東大生のリアル」(「障害者のリアルに迫る」東大ゼミ著、野澤和弘編著、ぶどう社)

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   先日、本書の舞台となった「障害者のリアルに迫る」東大ゼミの面々にお会いする機会があった。評者から見れば、ちょうど娘の世代となるが、皆さん、評者の学生時代と異なり、服装はこざっぱりしていて、外見は明るい印象。そして、素直で誠実といった感じだった。1時間半ほど話をしたが、頭の回転が速いのは当然としても、それぞれ多様で、深い問題意識を持ってこのゼミに参加していることに驚いた。

   2014年4月に、本書の編著者である野澤和弘さん(毎日新聞論説委員)と東大生有志によってスタートしたこのゼミは、今年で5年目を迎えている。OBの中には、このゼミの受講をきっかけに障害福祉の事業所を就職先に選ぶ者も出てきている。当日も、この春から滋賀県の救護施設(身体や精神に障害のある低所得の人を保護する施設)で働き始めたOBが半日休暇を取って参加していたので、仕事の感想を尋ねたところ、

「毎日、学ぶことばかりです」
「いかに自分が何もできないかを教えられています」

と答えてくれた。

   本書は、このゼミに参加した東大生が、障害当事者であるゲスト講師が語った自らの来し方に対し、自分自身が感じたこと、考えたことを、率直かつ正直に、言い換えれば、赤裸々に語った本である。よくある「障害者本」が、障害当事者にスポットを当て、その生き方、その思いなどを描いているのに対し、本書は、当事者からメッセージを投げかけられた学生達がどう受け止めたのかをリアルに語っている点に特色がある。本書の価値は、まさにこの点にあり、東大生達の赤裸々なレポートは、一読に値すると感じた。

学生達の受け止めは多様、率直でリアルな反応に強いインパクト

   本書のエピローグで書かれているように、このゼミの運営方針は、

「社会制度とか一般論の綺麗事じゃなくて、『私』を主語に、自分自身の過去や想いを自分の言葉で語らいたい」
「ここでは何を言ってもいい。空気もタブーも関係なく、たとえその発言が差別的で不当に聞こえようとも、しょうもない些末な疑問だと思えても、素直にいまの自分の考えを話してほしい」

であり、ゲスト講師からの講義の後の意見交換は、率直でリアルな討議になるという。例えば、人工呼吸器を付けたALSの当事者(岡部宏生さん)との間では、こうしたやりとりがあった。

東大生:「死のうと思ったことはないですか」
当事者:「症状が進行する間、何回も、何十回も自殺しようと思いました。けれど気づいたら自殺をすることもできない身体になってしまいました。まさに手遅れというやつですね」
東大生:「もし今、ALSを治して元の身体に戻ることが可能だとしたら、戻りますか」
当事者:「絶対に戻りません。戻りたくありません」、「ALSになって、最初は絶望と葛藤しかありませんでした。けれど今は、ALSにならなかったらできなかったことをやっています。いろんなところへ行っていろんな人にこの病気を知ってもらう。生きがいがあるのです。だから、身体の自由と心の自由、どちらかをとるとしたら、迷いなく心の自由をとります」

   このような心が揺すぶられるようなやりとりを受けて、学生達は、正直に感じたこと、考えたことを記す。隠し続けておきたいような、自らが抱える優越感の裏にあるコンプレックスや虚無感を語る者がいれば、他方、不安障害と双極性障害に苦しむ学生は、当事者である岡部さんとの違いを感じたと率直に述べている。

「私は、岡部さんを見下していたと思う。体が動かなくなって、かわいそうで憐れだと思った。(中略) でも、どちらが幸せを感じられているか、間違いなく岡部さんだ。私は彼に負けている。人から見て私は多くのものを持っているし、羨ましがられる人間だ。けれど、幸せだなんて思ったことはない。他人と自分を比べて一時的な満足を味わってばかりで、幸せになれるわけなかった」
「(生きるか死ぬかの選択を迫られた時)たまたまそこに二つの道があって、その人が真剣に考えて選んだ道なら、どちらもきっと正しい。死ぬという選択肢だって、その人が命をもてあそんだ結果選んだものでなければ正しい。生きる方を選んだ人ばかり正解だとか賛美されるのって、どうなんだろうか。(中略) 全力で生きる岡部さんを自分とは全然違うタイプの人だなあと感じながら、ぼんやり座っていた」

障害者と健常者は「地続き」であることを知る

   このゼミでは、ゲスト講師陣の語るリアルな話が、学生達のリアルな反応を引き出すことに大きく貢献している。

   例えば、ディスクレシア(知的な障害はないが、文字が歪んで見えるため読み取ることが難しい、書く文字はノートからはみ出してしまうなどの学習障害)の南雲明彦さん。思春期には、自分の症状の原因がディスクレシアだとわからなかったこともあり、家庭内暴力や自傷行為などに苦しんだが、今では、若々しくファッショナブルな雰囲気で外見からは障害者とはわからない。

   そんな彼に、学生が「どういう支援をされたら気持ちがいいか」と質問すると、「それをしてくれる人のことが好きか嫌いかだよね、好きな人だったらなんだっていいよ」と答えたそうだ。学生にとっては、「障害者は、けなげで聖人というイメージがあり、よもや、支援者のことを好きか嫌いかという基準で見ているなんて思いもしなかった」、「自分では対等に接しているつもりでも、本当は対等だなんて思っていなかったんだ」と気付かされたという。

   「障害者の性」をテーマに、脳性まひの小山内美智子さんや熊谷晋一郎さん(小児科医で東大准教授)、そして、盲ろうの福島智さん(東大教授)の3人の鼎談を行った際には、それぞれの赤裸々な性体験が語られ、学生達は圧倒されたという。

   この鼎談に参加していた学生の一人は、次のように記している。

「小山内さんがボランティア学生と性的関係を持ってしまった話。カーテン一枚隔ててセックスしている施設の友人のために、横でラジオをかけて音をごまかしてあげた話。福島さんが全盲ろうになった後、相手の親に内緒でガールフレンドの家にいたとき、突然父親が帰ってきたために急いで潜り込んだ押入れの中で嗅いだホコリっぽい臭いが忘れられない話。熊谷さんが小さい頃に腹這い競争で健常者の友達に負けた時に、なぜかエクスタシーを感じた話。三人ともとても生き生きと話していた。エネルギーに満ち満ちていた。(中略) 『このおじさん、おばさんたち、なんか人生楽しんでいるな』そう思わせるオーラがあった」

   「障害者」と一括りにされ、一つの抽象的なカテゴリーとして認識されていた存在が、眼前でひとりの人間として、自らを語り始めると、具体的な顔を持ち、リアルな実在として意識され、その印象はガラッと変わってくる。一人の女子学生は、このゼミに参加するまで、自分にとっての障害者とは「のっぺらぼう」だったと表現していたが、具体的に実際の障害者を知ることで、顔がついてきたという。

   まずは、出会うこと、これが重要なのだ。

   その上で、関係性ができ上がることによって、障害者と健常者とは線引きされるような存在ではなく、「地続き」であることが理解される。困っていること、悩んでいることを、リアルに語れば、「違い」は相対化され、近接してゆき、「同じ」という理解も生まれてくる。

   現実の社会での障害者を取り巻く厳しい状況を考えれば、安易に「同じ」だとしてしまうことには留保が必要だが、「障害者」を一括して別の存在としてしまうことは、適切ではない。こうしたカテゴリー分けの不合理は、「東大生」というレッテルだって同じであろう。一口に障害者や東大生と言っても、一人ひとり違うし、同時に相互に似ている点もある。実際、本書に投稿している東大生達の生々しい告白を含む文章を読んでいくと、次第に、東大生というカテゴリーを外れて、一人ひとりが顔を持った存在と感じられていく。

   要は、「障害者」だとか「東大生」などとレッテルを貼ってしまうと、見えなくなってしまうことが数多くあることを、自覚することなのだ。本書を通じて、若い感性が評者にそんな単純な事実を改めて教えてくれた。

JOJO(厚生労働省)

【霞ヶ関官僚が読む本】現役の霞ヶ関官僚幹部らが交代で「本や資料をどう読むか」「読書を仕事にどう生かすのか」などを綴るひと味変わった書評コラムです。
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