2018年 11月 18日 (日)

ドビュッシーの交響的素描「海」(後編)

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   (2018年11月1日付記事から続く)「牧神の午後への前奏曲」という斬新なオーケストラ作品で音楽界に衝撃を与え、「青い鳥」のメーテルリンク原作のオペラ「ペレアスとメリザンド」で一流作曲家の仲間入りをしていたドビュッシーは、その成功に胡坐をかくことなく、さらに自分の美学を反映させた、彼の名づけによると「交響的素描『海』」という大規模な作品の作曲に取り掛かったわけですが、実は、この時期のドビュッシーは問題を抱えていました。

  • ドビュッシーとエマが仲良く並ぶ写真
    ドビュッシーとエマが仲良く並ぶ写真
  • 物憂げなまなざしの色男ドビュッシーは何を考えているのか?
    物憂げなまなざしの色男ドビュッシーは何を考えているのか?
  • 『海』のピアノ連弾版楽譜。管弦楽版に少し先んじて、作曲者自身によって書かれている
    『海』のピアノ連弾版楽譜。管弦楽版に少し先んじて、作曲者自身によって書かれている

「ダブル不倫」の末に泥沼の離婚訴訟

   作品の名声によってプライベートにも注目が集まるのは古今東西世の常ですが、有名作曲家となったドビュッシーが『海』を作曲し始めた1903年ごろに抱えていたのは、女性問題でした。

   作曲家としては、フランスのレジオン・ドヌール勲章を受章するなど、順風満帆だった彼ですが、家庭では、その4年前の37歳で結婚したマリー=ロザリー・テクシエ(通称リリー)と冷え切った関係になっていたのです。その時すでにドビュッシーは、生徒の母親であった裕福な銀行家婦人、エンマ・バルダックに惹かれ始めていたのです。今風に言えば「ダブル不倫」となる関係に陥り、さらには、ドビュッシーは駆け落ち同然で、妻を捨ててエンマと暮らし始めます。残されたリリー・テクシエはなんとピストル自殺を図り、一命はとりとめたものの、当然泥沼の離婚訴訟となります。現代日本のワイドショーネタのようですが、この話は、「バルダック婦人」が裕福だったということもあって、批評家に総攻撃され、ドビュッシーの親しい友人たちにも「金目当ての不倫」と受け取られ、彼らはパリには居づらくなります。

   ドビュッシーは、相当魅力的な男性だったらしく、リリーと結婚したときにも、前の恋人が世をはかなんで自殺未遂を起こした・・・という話がありましたから、女性泣かせな面があったのですが、今回は、既婚であったため立派な「不倫」でしたし、有名作曲家として、周囲からの注目度が格段に違ったのです。

   創作力があふれていたこの時期のドビュッシーですが、1904年は、驚くほど発表作品が少なくなっています。

再演されるたびに人気と評価が高まる

   しかし、そんな状況の中でも『海』の作曲は、スケッチのピアノ連弾版、そしてそれをオーケストレーションした管弦楽の完成版、と着々と進められました。1908年にはエンマ・バルダックとも正式に結婚し、以後亡くなるまで歌手であり教養があった彼女と連れ添うことになります。

   1905年に完成した『海』は、それまで誰も見たことも聴いたこともないような斬新な曲だったため、指揮者も、演奏するオーケストラも理解が浅く、初演時の演奏が惨憺たるものだったために、それほどの評判となりませんでした。しかし、再演されるたびに人気と評価は高まり、ついには、フランスを代表する作曲家ドビュッシーの真の代表曲と称賛されるようになります。ドビュッシーがいつも心掛けていたことですが、「彼の内なる美学」に忠実に描き出した、彼の独自の音の世界が、『海』という作品によって、広く世の中に知れ渡った、といってもよいでしょう。彼は、「音楽とは、リズムによって形を与えられた時間と色彩の芸術」と言い残していますが、まさにそれを具現化したのがこの『海』なのです。決して、文学や風景を描写する「交響詩」ではない、とこだわったことにも納得がいきます。

   現代でも、この作品は、演奏会に頻繁に取り上げられ、ドビュッシーの人気作品となっています。

   しかし、傑作誕生の陰には、女性とのさまざまな関係がありました。実は、エンマ・バルダックは相当したたかな女性で、最初はお金だ、と銀行家バルダック氏と結婚し、お金を手に入れたら次は名誉だ、とばかりに、ソプラノ歌手という立場からか名のある作曲家に次々にアプローチします。ドビュッシーの先輩である、やはりフランス近代を代表する作曲家ガブリエル・フォーレとは、ドビュッシーと関係ができる以前、一時不倫関係にありましたし、ドビュッシーに代わってフランス楽壇の寵児となるモーリス・ラヴェルにも接近しました。ラヴェルはかなりなマザコンだったため、彼女には全く興味を示しませんでしたが・・・。

   しかし、銀行家と離婚し、ドビュッシーと結婚したエンマは、妻としてそして母として、ドビュッシーと一緒に暮らすことになります。『海』の完成と同じ1905年、ドビュッシーにとっては、唯一の子供となる娘、クロード=エマ・ドビュッシー、通称シュシュ(キャベツちゃん)が生まれるのです。

   『海』はフランス語では女性名詞、したがって女性形の定冠詞がついて「ラ・メール(la mer)」と表記されますが、これと全く同じ発音の名詞があります。表記は「ラ・メール(la mère)」となるこの言葉の意味は、「母」。もちろん、偶然でしょうが、なんとなく深読みをしたくなってしまいます・・・・

本田聖嗣


   ドビュッシーが交響的素描「海」を管弦楽で作り上げるにあたって、同時に作ったピアノ連弾版を、私がプロデュースする演奏会「サロン・ド・ドビュッシー」(11月18日、日曜日)に、同じパリ国立高等音楽院に留学した仲間でもあるピアニストの藤原亜美さんと演奏します。詳しくはhttps://tocon-lab.com/event/181118をご覧ください。

本田聖嗣プロフィール

私立麻布中学・高校卒業後、東京藝術大学器楽科ピアノ専攻を卒業。在学中にパリ国立高等音楽院ピアノ科に合格、ピアノ科・室内楽科の両方でフプルミエ・プリを受賞して卒業し、フランス高等音楽家資格を取得。仏・伊などの数々の国際ピアノコンクールにおいて幾多の賞を受賞し、フランス及び東京を中心にソロ・室内楽の両面で活動を開始する。オクタヴィアレコードより発売した2枚目のCDは「レコード芸術」誌にて準特選盤を獲得。演奏活動以外でも、ドラマ・映画などの音楽の作曲・演奏を担当したり、NHK-FM「リサイタル・ノヴァ」や、インターネットクラシックラジオ「OTTAVA」のプレゼンターを務めるほか、テレビにも多数出演している。日本演奏連盟会員。

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