2024年 4月 19日 (金)

ワイン好きは未来志向 前田京子さんは「思い出カプセル」に家族の時を託す

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   ku:nel 1月号の「前田京子のワインのある場所」(最終回)で、前田さんがワインと歳月の戯れについて素敵な文章を書いている。

   マガジンハウスの中高年向けライフスタイル情報誌(隔月刊)。「食う:寝る」というくらいだから、食と健康、旅や雑貨、おしゃれなどが主要コンテンツだ。オトナの食卓に欠かせないワインについての上記連載は、自然派健康ライターらしく蘊蓄ありハウツーあり。谷山彩子さんのイラストと共に楽しませてもらったが、全18回でひと区切りとなった。

「葡萄の木の寿命は人とほぼ同じである。環境や手入れ、天候、災害や病気などにもよるが、つつがなくゆけば、約百年だ」

   この冒頭、連載を締めくくるにふさわしい膨らみだと感服した。収穫可能になっても若木からできるワインはヒヨコ。対して、幹が太くなる60年70年の古木は深みのある味を醸し出し、1世紀を生きた株ともなれば、どれほど収穫量が少なかろうが貴重とされる。こうした説明に続いて、本作のテーマが示される。

「そんなところが、他の農作物とワインになる葡萄の大きな違いで、だから人は、ワインの味わいに、自分や家族、親しい人の一生をいろんなふうに重ね合わせてきたのである」

   葡萄を日照りや大雨が見舞うように、人生も山あり谷あり、思うようにはいかない。

「そんなやるせない人生のエキスや思い出を、そのままストレートにびん詰めにしたような飲みものがワインだ。しかも、その液体はびんの中で生き続けて、少しずつ味わいを変化させていくから...」
  • 18世紀に創業したシャンパンメーカーの貯蔵庫で時を待つボトルたち=ルイ・ロデレール社提供
    18世紀に創業したシャンパンメーカーの貯蔵庫で時を待つボトルたち=ルイ・ロデレール社提供
  • 18世紀に創業したシャンパンメーカーの貯蔵庫で時を待つボトルたち=ルイ・ロデレール社提供

寝かせたシャンパン

   前田さんはここで、父上が残したシャンパンの思い出をつづる。亡くなって7年後、故人が酒蔵として使っていた床下収納庫を整理したら、まとめ買いしたシャンパンの最後の1本が見つかったそうだ。長く寝かせるタイプではないが、家族注視の中で開けてみると、それは深い金色に変貌を遂げ、香りも味わいも豊かにコクを増していたという。

「母もじっと、グラスの中の泡を眺めている。そうか、もう7年経ったのか。どんなシャンパンでも思い出と一緒で、寝かすとうまい、と言う人がいるけれど、なるほど、こんなふうになるのかと、納得したものだった」

   前田さんは試しに、手ごろなシャンパンを寝かせては飲み、同好の士から情報収集した。その結果、10年くらいは問題なく熟成が進むと知った。そして、「大事な思い出をびん詰めで取っておき、誰もが時間の玉手箱を手に入れられるやり方」を読者に提案する。

「ちょっと特別な気持ちで乾杯した時、そのシャンパンをもう1本か2本買い置きして冷暗所に転がしておく。するとそれは、思い出カプセルになる。何年か経って開ければ、その間に何があったとしても、グラスに注がれた時には、熟成を経て美味しくなった大事な記憶となっているはずだ」

   前田さんは、お母様の好きなシャンパンが2040年までは飲み頃だと聞き、少し前に思い切って6本買ったそうだ。母親の誕生日に家族で1本を分け合い、残りを保存した。

「元気なら2040年には、母は百一歳の堂々たる古木...我が家の2040年に何がなくとも、そこには熟した金色の液体がある。やっぱりワイン好きは、未来指向なのである」

思い出を閉じ込める

   2010年夏、バルト海の沈船から18世紀のシャンパンが30本ほど見つかったというトピックを新聞コラムで採り上げた。フランス革命前に製造された、世界最古の「中身入りボトル」ということだった。味見した船員によると「とても甘く、オークの味や非常に強いタバコの香りがし、小さな気泡も立っていた」という。

   北欧の海底60メートルという絶好の冷暗所で、200年以上「寝かせた」ことになる。これほどのお宝ではないにせよ、何年か手元に置いたシャンパンは特別の1本になろう。

   記念日のシャンパンをまとめ買いし、何年か後に関係者が味わうという前田さんの提案。懐だけでなく「残り時間」にそれなりの余裕があっての話だが、掲載誌の読者には、この年末年始に早速やってみる人が結構いそうな気がする。

   「赤」には何十年も寝かせたものがあるが、祝い酒のシャンパンは、目の前にあるものを豪快に空ける一発勝負のイメージだった。晴れの日を閉じ込める、という発想は新鮮だ。

   こうして時間軸を意識しながら、前田さんの作品を読み返す。「葡萄の木の寿命は人とほぼ同じである」...この始まり、改めて秀逸だと思った。

冨永 格

冨永格(とみなが・ただし)

コラムニスト。1956年、静岡生まれ。朝日新聞で経済部デスク、ブリュッセル支局長、パリ支局長などを歴任、2007年から6年間「天声人語」を担当した。欧州駐在の特別編集委員を経て退職。朝日カルチャーセンター「文章教室」の監修講師を務める。趣味は料理と街歩き、スポーツカーの運転。6速MTのやんちゃロータス乗り。

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