2019年 8月 17日 (土)

世界を変える「ものの考え方」―地球温暖化問題の場合

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■『気候正義 地球温暖化に立ち向かう規範理論』(宇佐美誠編著、勁草書房)

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   評者の関心のひとつに、世代間にまたがる長期の公共政策の問題がある。これまでも、「霞が関から読み解く漫画版ナウシカ:ポリフォニックな喧噪を愉しむ」(2017年2月)、「再訪『フューチャー・デザイン』」(2019年4月)などで、関連する話題を取り上げてきた。

   これからの数世紀にわたり、地球温暖化問題が人類を悩ます最大の課題になることは間違いないことである。気候変動に伴う直接の災害にとどまらず、気温上昇に伴う疫病、居住に適さなくなった土地からのあふれ出る難民、政治紛争など、その影響は計り知れない。

   それでも、温暖化への政策対応は遅々として進まない。一般の関心は決して高いとはいえない。選挙で具体的な争点になることはない。新聞・テレビをみても、一応カバーしておかねばならないトピックではあるとしても、その扱いは市民たる者ある程度の知識は持っておこうよという程度のものである。

地球温暖化問題への「ものの考え方」

   『気候正義』は、我が国を代表する法哲学者のひとりで、世代間問題の研究をリードしてきた京都大学の宇佐美誠教授によって編まれた論文集である。感情に働きかけることを通じ、温暖化問題への関心を高める類の著作ではない。温暖化問題への対応策を編み出すにあたって必要な「ものの考え方」について、世界の哲学者の間で交わされている議論を整理し、独自の思考を交えることで、我が国の読者の思考枠組みをステップアップすることを狙いとした著作である。「ものの考え方」は、人の行動を内面から変えることで、世界の様相を一変する力を秘めている。本書を契機に温暖化問題への世間の関心が劇的に高まることはないだろうが、「ものの考え方」を変えることを通じ、感情に訴えかけることにもまして、温暖化対策を進める力となることを期待する。

世界の哲学者はどのような「ものの考え方」をしているか

   世界の哲学者は温暖化問題に際して、どのような「ものの考え方」を提示してきたのか。この論題については、第2章「気候正義の分配原理」(宇佐美)、第5章「気候変動の正義と排出をめぐる通時的問題」(井上彰)がまとまった整理を提示している。地球温暖化問題が他の世界的課題と異なるユニークな点は、問題が世界規模のものであるにとどまらず、複数世代にまたがる長期の問題であることにあり、その意味では、特に第5章に書かれていることが重要である。

   東京大学の井上准教授は、第5章で、世代間問題としての地球温暖化問題の抱える困難として、非同一性問題と非互恵性問題の存在を指摘している。非同一性問題とは、温暖化対策を実施しなかった場合に一見被害を受けているようにみえる未来の人々は、温暖化対策を実施した場合には生まれてこなかったはずの人々であるから、実のところ、被害者としての資格を欠くのではないかというパラドキシカルな議論である。非互恵性問題とは、後続世代は先行世代に対して助けることも危害を加えることもできず、互恵性が成立しないことから、世代間には協働の基礎がないという問題である。本章では、ロールズの契約論(その変形としてのガスパート&ゴセリーズの議論)、互恵性を前提としない合理的契約論(ゴーティエ、ヒース)、左派リバタリアン、運の平等論といった議論が俎上にのせられている。井上准教授は、これらのいずれも満足のいく「ものの考え方」ではないという判定を下している。ガスパート&ゴセリーズの議論は、将来世代が正義原理を遵守するという理想的状況が前提となっており、非理想的状況ではうまく機能しない。ヒースの議論は、定常状態を前提しており、急激な気候変動への対策にはならない、などといった具合である。惜しむらくは、本章はポジティブな考えの提示を欠いている。どのような「ものの考え方」ならばよいのか出口を提示するに至っていない。それでも、この問題の抱える困難の基本構造を理解する上で、本章は有益な論考を提示している。

我々の死後も人類が存続することの持つ決定的価値

   ポジティブな議論を展開しているものとして、評者が興味深いと考えるのは、一橋大学の森村進教授による第4章「未来世代に配慮するもうひとつの理由」である。森村教授は、未来の世代に配慮する理由としては人道主義によるものが考えられるとしつつ、その配慮は正義の名の下でも提唱できるだろうという。

   サミュエル・シェフラーの議論を引きつつ、森村教授の指摘するのは、人が自分の死後も人類が存続しつづけることに価値を見いだしていることである。このことは、誰も早死にしないが、今後地上に子どもがひとりも生まれなくなるという「不妊のシナリオ」を考えてみれば、たちどころに諒解できよう。人々は自分自身が早死にしないからといって不妊の事実に無関心ではいられず、社会の中にはアパシーが蔓延するに違いない。我々が価値を見いだすものは、実のところ後世が存在することではじめて本当に価値を持つのであり、だとすれば、我々は人類の文明の存続のため、未来世代に配慮を欠くことはできない。この議論は、ハンス・ヨナスの「責任の原理」と通底するモチーフを持つ。世代間問題における「ものの考え方」について、井上教授が指摘した出口なしの状況から脱する契機となる興味深い議論である。

経済官庁 Repugnant Conclusion

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