タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」"お馴染みの「春だったね」とかが無いライブ その期待は裏切る事になるが... 僕には自信があった このオープニング2曲で「突き進む空気が」 このツアーにかける「音楽魂」が見せられる それはアマチュア時代からロックバンドで 培ってきた吉田拓郎の集大成となるはずだ この2曲メドレーで今回のツアーのイメージは 完全に出来上がった"吉田拓郎は、2019年10月30日に発売になったDVD・ブルーレイ作品「TAKURO YOSHIDA 2019-LIVE 73 YEARS-in NAGOYA」のセルフライナーノーツ全曲解説の2曲目『人間の「い」』でそう書いている。「全てが自分であること」自分のキャリアをどう締めくくるか。彼の言葉を借りれば「人生のアウトロ」である。つまり、後奏。どんなに感動的な曲でも終わり方次第では全てが台無しになることもある。まだ日本には「シンガーソングライター」という言葉も「コンサートツアー」や「野外イベント」という形もなかった1970年のデビュー以来約半世紀。70年代以降の音楽に最も大きな影響を与えた希代のスーパースターの音楽人生の「アウトロ」。彼が選んだのは「全てが自分であること」だった。「全てが吉田拓郎」。今年の4月から7月にかけて行われたツアーは、これまでに試みられたことのない内容だった。ツアータイトルは、今年の4月に彼が「73才」になったことと1973年に発売されたライブアルバムのタイトルが「LIVE73」だったことのダブルミーニングになっている。「LIVE73」は、開設したばかりの中野サンプラザを舞台に、ホーンセクションとストリングスを従えて新曲を演奏、それを録音してそのまま発売するという前例のないライブアルバム。生ギターのフォークソングが全盛の中で「フォークの貴公子」として爆発的な人気を得ていた彼が、そうしたイメージを覆した画期的なものだった。あれから46年。「2019-LIVE 73 YEARS」は、これまでの「イメージ」や「レッテル」、「栄光」も「時代」も拭い去った素顔を見るような清々しく晴れやかなライブだった。彼がこのツアーをどういうものしたいか話したのは今年の3月まで2年間続けていたニッポン放送の番組「ラジオでナイト」の中でだ。彼は「全ての曲を自分の詞曲のものだけにしようと思う」と言った。岡本おさみが詞を書いた「落陽」を始めとして自分以外の作詞家が書いた曲は歌わない。自分の音楽人生は、自分の曲で終わりにしたい。そういう曲(自分以外の詞曲)が聞きたい人は来ないでくれ、とまで言った。そして、リスナーからこのツアーで聞きたい曲ばかりでなくオープニングやエンディングの曲まで候補曲を募った。彼自身「それまで忘れていた」と全曲解説に書いている11曲目「そうしなさい」は、リスナーから送られてきた曲だ。ファンからの声を参考にして選曲を決める。それ自体がファンとの距離を持ち続けてきた彼にとっては異例のことだった。どんなツアーになるのか、客席にいたほとんどの人がそんな思いで会場に向かったのではないだろうか。この映像になった名古屋公演は2009年、彼が「最後の全国ツアー」として行った時以来10年ぶりだった。ライナーノーツに率直な心境「吉田拓郎」ほど世間のイメージと実像が乖離している人も少ないかもしれない。語られることの少なかった彼の実像。それは一言でいえば「音楽家」としての側面と言っていい。「ミュージシャン的」な語られ方。一つの曲の中で使われているコードやリズム。言葉を載せる時の譜割や演奏するミュージシャンの音のタイミングや楽器の音色に力加減。コーラスのハーモニーの響き方やバランス。音楽の成り立ちや構成へのこだわり。それがいかに個性的で独自のものなのか。そうした純粋音楽論とも言える視点での語られ方がどのくらいあっただろう。彼は、他の歌い手に依頼された曲には詞や曲だけでなく緻密なデモテープも作る編曲家だった。70年代のフォークやニューミュージックがそういう音楽として捉えられていなかったこともあるだろうし、筆者も含めて書き手にそこまでの能力がなかったということもある。「吉田拓郎論」の多くは、作詞家が書いた「言葉」を題材にしていた。彼が、自分の作品をほとんど語ってこなかったのはそんな状況を踏まえてだったのだと思う。新作映像は、ステージ上はもちろん、リハーサルのスタジオなどでの彼の「ミュージシャン」あるいは「音楽ファン」としての表情を見事に記録している。彼の言葉を使えば「音楽魂」だ。それぞれの曲について書いている全8頁1万字に及ぶ「セルフライナーノーツ」にも率直な心境が綴られている。"もともとバラードだがここでは後半 たたみ込むようなロックビートにアレンジ オリジナルの美味しいところは残しつつ あくまでスピリッツはロック 素晴らしい演奏だった ボーカルチームも力強い" 「早送りのビデオ」"音楽は自由でなければツマラナイ! 変化がなければ楽しくないのだ 全国ツアーから身を引くきっかけは 「同じ曲を毎度のごとく歌い続けて行く事」そこに吉田拓郎は「飽きた」のも遠因である飽きっぽい、と人は言うかも知れないが僕自身の音楽への、これがこだわりなのだ「変化」し続けていたい「いつの時代」とも話し合える音楽でありたいそこが70年代フォークを語る連中とは根本から「ウマが合わない」(笑)" 「流星」これが「吉田拓郎」なのだ映像はギター一本を持ってステージに現れるところから始まっている。曲は"ロックンロールの響きがいい"と歌われる「大いなる」。意表を突かれたような客席は続いての「今日までそして明日から」でどよめきが上がる。でも、原曲の"今日まで"の前半部分を省いて"私には私の生き方がある"以降を強調したショートバージョン。"ロックンロール"と"明日から"。そんな挨拶代わりのような始まりはその後の展開を予感させた。バンドが加わっての一曲目「わたしの足音2019」は、72年の映画「旅の重さ」のために作られた曲だ。「全曲解説」には「監督の気に召さなかった フォーキーな曲想を求めていたのだろうが僕とは意見が合わなかった」と書いている。つまりボツになった。その映画の中で使われたのが「今日までそして明日から」だった。73年のツアーや75年の野外ライブ「つま恋」くらいでしか歌われなかった「わたしの足音2019」は、こんな歌詞だ。"人にはそれぞれの叫びがあって 走ったり歩いたり立ち止まったり""青春の旅に出てはるかに思えば この道はそれぞれに忘れじの物語り 明日への足音が聞こえてくるんだ 一歩ずつたしかめてまだ見ぬ旅へ"これが最後になるかもしれないツアーでなぜこの曲を選んだのか、なぜこうしたアレンジで演奏し歌うのか。今の気分、心境、伝えておきたいこと、更に出したい音。全曲がそうした必然性に沿っている。そして、その理由がどういうものだったかを「全曲解説」で明かしている。ここには作詞家が書いた曲が入り込む余地はないだろうと納得させる。こんなに無駄なく芯の通ったライブ映像は初めてと断言してしまおう。かつての「LIVE73」が、世の中の風潮に抗って自分の音楽の全貌を見せたライブだったとしたら、「TAKURO YOSHIDA 2019-LIVE 73YERASー」は、73年の人生の全てを思い残すことないように注ぎ込んだ「生まれて初めて味わう歓びに満ちたサウンドを生み出せる次元に到達していた」(「人生を語らず」)ものになった。これが「吉田拓郎」なのだ、と今更のように思う。映像作品にはツアーで披露された「わたしの足音2019」と新曲「運命のツイスト」、近藤真彦に提供した「あぁ、グッと」と石野真子に書いた「わたしの首領」をバンドメンバーで結成したバンド、「T&ぷらいべいつwith2019's BAND」で歌った4曲入りEP「てぃ~たいむ」もついている。アウトロというのは「曲の終わり」とは限らない。「アウトロ」という名の新曲があってもいい。長く新しい「アウトロ」がここから始まると思わせる「集大成」のライブ映像だった。(タケ)
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