2020年 11月 1日 (日)

人間性の本質から貯蓄行動を考える

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■『Heuristics and Biases in Retirement Savings Behavior』(著 シュロモ・ベナルチ&リチャード・セイラー Journal of Economic Perspectives, 2007)

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   行動経済学については一般向けにまとめられた優れた解説書が出ており、これまで評者もたびたび本欄で取り上げてきた(「自制という厄介な問題にみな悩んでいる」「自分の中の二種類の生き物」)。今回はすこし踏み込んで、英文で書かれ、専門誌に掲載された論文を取り上げる。面倒な数式はないし、英文は読みやすい。なお、著者のひとり、セイラーは2017年のノーベル経済学賞受賞者である。

十分な貯蓄が出来ない理由とその対策

   貯蓄、特に老後の生活のための貯蓄は、高齢社会においてもっとも重要な経済問題であろう。年金や高齢者医療などが社会保障の問題として、公共政策上の最重要領域となっているが、この問題の本質も稼得能力のない高齢期の生活をいかに支えるかという問題である。自由主義社会における正統的な対策は個々人の貯蓄によるというものであり、貯蓄を促すために何がなしうるのかということは経済政策の最重要課題である。それがむつかしいのなら、家族的扶養によるという答えもあろうが、社会的な移転によるという答えは順序としては後から来るものなのである

   ベナルチ&セイラーは十分な貯蓄ができないheuristics and biases(heuristicsとは決定の際用いる大雑把な方法というほどの意味)として、(1)惰性の影響により、事業主拠出分や税制を通じ有利なはずであるプランへの加入が進まず、資産配分も、デフォルトで決まっている保守的なポートフォリオからの変更がなされない。(2)損失回避から名目の手取りの減を嫌がり、過少貯蓄となる。(3)市場の趨勢の影響を受けることから、高値で買い、安値で売ってしまう。(4)自制心の欠如から、貯蓄の開始、増額を先送りする。(5)拠出率・資産配分の決定に際して合理性乏しい根拠を用いることから、的確な資産形成の機会を逸するなど、様々な要因をあげている。

   どうすれば、貯蓄を増やすことができるのだろうか。ベナルチ&セイラーは、惰性、自制心の不足への対応として、自動的に加入する制度が有用であるとする。その際、デフォルトとする投資対象として、(特に若い雇用者の場合)株式投資を組み込んだ投信等を取り入れることが有益とする。あらかじめ合理的な設計された少数の投信等から投資先を選ばせることで、資産配分決定における合理性を高めることが期待される。月々の決まった投資を行う制度への加入を通じ、市場の趨勢からの影響から遮断されることも期待される。

   損失回避、貨幣錯覚に対応する仕組みとして彼らが提唱している、Save More Tomorrowという仕組みは興味深い。将来の賃金上昇にあわせて拠出率を自動的に上げる仕組みとすることで、手取りを減らさずに拠出率を次第に上げていくことができる。この提案のポイントは、この仕組みへの加入を現在のうちに決めることにある。

我が国への示唆

   ベナルチ&セイラーの挙げているheuristics and biasesは、いずれも人間性に根差したものであり、彼らの議論は大部分が我が国でも通用するものと考えられる。読者の皆様自身、自分にもそのようなheuristics and biasesがあると感じたかもしれないし、評者の場合、実際そうであった。我が国でもイデコの投資先のデフォルトの設定のあり方等が議論されているが、それはベナルチ&セイラーの研究等を踏まえた一連の流れの中で行われているのである。

   他方、将来の賃金上昇分を加味し、名目の手取り分の減を回避するSave More Tomorrowのアイデアについては、我が国での名目賃金上昇率の低迷を考えると、うまく機能しない恐れがあることには注意を要する。年功序列賃金体系のもとで働く大企業の若い勤労者には有効であろうが、この層はかつてほどのボリュームゾーンではない。政策として貯蓄を促す必要性の高い層は、雇用の不安定な層であるが、このアイデアはこの層への適用に困難を抱える。

   ベナルチ&セイラーは個人の年金に関する指摘であるが、同様の課題が公的年金、税の賦課においてもあるとみられることは興味深い。我が国の2004年年金法は保険料率の小刻みの自動的引上げ、マクロ経済スライドを骨子とする。この仕組みは物価・賃金上昇の下で、手取りを可能な限り減少させずに受益と負担を調節する工夫である。ただ、デフレ下で(保険料率引き上げは完遂したものの)マクロ経済スライドは十全な機能を発揮できていない。税についても、今回の消費税率引き上げの経緯にも鑑みると、小刻みで、リジットな転嫁を求めない税率引き上げが、少なくともベナルチ&セイラーからの類推による限り(筆者注)、妥当ということになろうか。

   人間性の本質に迫った分析をおこなうことを通じ、行動経済学はマクロの経済運営にも有益な示唆を与えることができそうである。

経済官庁 Repugnant Conclusion

(筆者注)行動経済学で最も有名と思われる理論にプロスペクトセオリーがあるが、この理論からすると、損失は複数にわけるよりも一度にまとめる方が負担感は軽くなるはずである。理論のいいとこ取りにならないようにするにはどうすればよいのか、一考を要する。

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