2020年 3月 29日 (日)

棒高跳びの鉄人・澤野大地の芸術性 まっすぐ、高く飛ぶ姿は美しい【特集・目指せ!東京2020】

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   1932年ロサンゼルス五輪、1936年ベルリン五輪ではメダルを獲得した日本男子棒高跳びだが、1952年ヘルシンキ五輪の入賞を最後に世界から遠ざかり、冬の時代に突入する。

   そこに現れたのが澤野大地選手(富士通)だ。

   高校時代にはインターハイで連覇を達成し、高校三年生の時には高校記録・ジュニア日本記録を更新して優勝。その後も勢いは止まらず、2003年、04年の日本選手権を2年連続日本新記録で制し、「エアー大地」という敬称で呼ばれるようになる。

   そして、39歳となった現在でも日本選手権2位に輝く。この年齢でも第一戦で戦い続けている――。

   誰にでも分かる比喩を使えば、まるでイチロー。

   簡単に同調しない日本人らしくない姿勢と、一方では聴衆が理解できているか巻き込みながら丁寧に進めてもいく。その受け答えもイチローのようだった。(インタビュアー:石井紘人 @ targma_fbrj)

  • 練習の後、グラウンドをバックに
    練習の後、グラウンドをバックに
  • 「東京五輪に向けてひと言」とリクエストすると、色紙にこう書いてくれた
    「東京五輪に向けてひと言」とリクエストすると、色紙にこう書いてくれた
  • インタビューに丁寧に答える澤野選手
    インタビューに丁寧に答える澤野選手
  • 真剣な表情でインタビュアーの話を聞く
    真剣な表情でインタビュアーの話を聞く

2つの五輪で手にした幸福

――2003年パリ世界陸上選手権での決勝を怪我で棄権したことはインパクトがあり、初めての挫折に思えました。いかがでしょうか。

澤野 メディアの皆様には、そのように見えたかもしれませんが、2003年以前にも挫折はあります。ただ、この棄権は非常に勉強になりました。予選を突破することで精一杯な体力しかなく、もっと総合力を上げないと世界で勝てないと痛感しました。
この経験が2004年アテネ五輪では生きて、決勝に進出できました。さらに、アテネ五輪での経験が05年のヘルシンキ世界陸上選手権8位入賞に繋がります。
06年は世界の選手と渡り合うために、ほぼ海外の試合を選択して、各地を回っていました。

――それが2006年、世界のトップ選手しか出場の許されないワールドアスレティックファイナルにも繋がるのですね。

澤野 はい。ただ、そこからが右肩上がりとはいきません。2008年の北京五輪は出場できたものの、アキレス腱の状態が悪く、自分の力を発揮できませんでした。20代後半になり、若い時とは肉体も変わってきます。出力は変わらなくても、スタミナが不足するのです。そこで練習内容などを変えていきました。それまでのウエイトや走りメインだったトレーニングを、感覚を鍛えるトレーニング、分かりやすく言うと体幹トレーニングやバランストレーニングにしました。その結果として14年アジア大会で銀メダルを獲得でき、16年のリオ五輪7位入賞となります。

――先駆者として大変多くのプロセスを踏んでいますが、思い出に残っている試合を教えてください。

澤野 全てが思い出深いですが、一つは子どもの頃からの夢だった五輪の舞台に立てたアテネ五輪です。五輪発祥の地でもありますし、あの時の感動は強烈に残っています。
もう一つは、リオ五輪です。今までの経験が生きて、「五輪でこういう戦いが出来るようになった」と。入賞して、自分自身の喜びと、周りの応援や支えてくれる人々がすごく喜んでくれた喜び、二つの喜びがありました。リオにいた3週間は、自分の人生の中でも1位、2位を争う幸せな時間でした。スポーツは、自分も、周囲も幸福感を得られる。それを学生に伝えていきたいと思っています。

リオ五輪で最高成績、技術力も向上している

――39歳となった今も現役選手を続けられるモチベーションは何でしょうか。

澤野 東京五輪です。自国開催の五輪に、現役選手として参加できるのは、限られた人間だけじゃないですか。
東京で五輪が決まった時は、自分が出場できる位置にいられるとは思いませんでした。だって、もうすぐ40歳ですよ(笑)。
でも、リオ五輪では自分の五輪の記録としては最高の成績を出せた。技術力も向上している。それから、痛い所もなく戦えた。この年齢でのコンディショニング、トレーニング計画もつかめてきた。何よりも、跳んでいることが楽しくて、跳ぶことによって、結果を出すことによって、まわりの人が喜んでくれる。所属先の富士通も「続けて構わない」と言ってくれた。 これらのことから、リオ五輪という一つの目標は終えましたが、もうちょっと続けたいなと思いました。そして、トレーニングを続けているうちに東京五輪が見えてきたのです。

――では最後に、棒高跳びの良さや、東京五輪で注目して欲しい点を教えてください。

澤野 陸上競技の中で、唯一道具を使い、陸上競技場の中で一番高い所まで飛ぶのが棒高跳びです。走り高跳びの世界記録が2メートル45ですが、棒高跳びは五輪の下位の記録でも倍以上の5メートル40は飛びます。棒一本で、人間がそれだけ高く飛べるようになるのはすごいことだと思います。
今年2月8日にスウェーデンのアルマンド・デュプランティス選手が6メートル17を跳んで、世界記録を更新したのですが、彼は翌週15日には6メートル18を跳んで、さらに記録を伸ばしました。彼ら世界記録保持者は鳥人とも呼ばれますが、まさに鳥になったような感覚になるのです。ランナーのようなスプリントの助走から、棒を使い、体操のような身のこなしで人間が6メートルも跳ぶという芸術性を見て頂きたいと思います。
走ってきた運動エネルギーが、棒に伝わり、棒に蓄えられたエネルギーを自分がもらって上に真っすぐ高く飛ぶというエネルギーの変換は、すごくきれいに見えます。高い所を跳べる選手こそ、美しく、芸術性のある飛び方をみせます。
私であれば、棒を置く位置や足の踏切の仕方からの跳躍、これまででつかんできたテクニックに注目してください。

澤野大地(さわの・だいち)
棒高跳びの日本記録保持者で、五輪ファイナリスト。アテネ五輪では、日本人として20年ぶりに決勝進出。北京五輪では予選16位に終わったが、2009年世界陸上ベルリン大会、11年世界陸上テグ大会と2大会連続で決勝進出、世界のトップ選手として存在感を示した。
12年、ロンドン五輪の参加標準記録A(5メートル7)をクリアしていたが、まさかの代表落選。諦めずに挑戦し続け出場権を得たリオデジャネイロ五輪では、見事決勝に進み7位入賞を果たした。
17年JOC(日本オリンピック委員会)のアスリート委員会委員長、18年6月にはJOC(日本オリンピック委員会)理事に選任され、現役アスリートの代表として日本のスポーツ界に提言を行なっている。富士通所属。

文:石井紘人(いしい・はやと)
ラジオやテレビでスポーツ解説を行う。主に運動生理学の批評を専門とする。
著作に『足指をまげるだけで腰痛は治る』(ぴあ)『足ゆび力』(ガイドワークス)、プロデュース作品に久保竜彦が出演した『弾丸シュートを蹴る方法』(JVD)がある。
『TokyoNHK2020』サイトでも一年間に渡り、パラリンピックスポーツの取材を行い、「静寂から熱狂そしてリスペクト」などを寄稿。
株式会社ダブルインフィニティ代表取締役でもあり、JFA協力、Jリーグと制作した『審判』の版元でもある。

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