2020年 8月 11日 (火)

海を渡る恐怖、陸地を目指す喜び

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■『サピエンス日本上陸-3万年前の大航海』(著・海部陽介 講談社)

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   人類の歴史の中で氷河期が終わった1万5000年以上むかしのことを具体的に明かすことは相当の創意工夫を必要とする。

   本書は、東南アジアから島伝いに航海して日本列島に上陸したホモ・サピエンスが、どのような船で、どのような航海技術を用いたかを実際に船を製作して追体験したプロジェクトを舞台としている。その背景には、考古学、文化人類学など学術に携わる方々の協力、台湾から与那国島まで航海する地元の関係者の心温まる支援があった。

   二日間手漕ぎで海峡をわたるとき、黒潮や風の具合は、航海に致命的な要素となる。当時の人々の自然を観察する能力の高さも臨場感をもって伝わってくる。

海に乗り出したホモ・サピエンス

   今から3万8000年前、後期旧石器時代は、ホモ・サピエンスがアフリカ大陸からアジアへ広がった時代である。東南アジアに到達した彼らは、海峡を渡り、ニューギニア、オーストラリア、フィリピン、沖縄、日本列島、北極海沿岸まで居住圏を広げていった。欧州に移動したクロマニヨン人は、フランスの洞窟に絵画を残したが、海を渡ったアジア人は、航海の痕跡を残していない。僅かな予算と人数で行われたこのプロジェクトは、その謎を解明する意義深いものだ。

   古代エジプトでは、風の力を利用する船が利用されていることがわかっているが、旧石器時代は人が漕いで航海する方法しかなかった。古事記に登場する葦船からプロジェクトははじまる。葦船、筏、丸木舟と順番に試すことで当時の航海方法を解明したのだ。その結果、石斧で大木を切り倒し、内部をえぐる丸木舟でしか長距離の航海ができないことがわかった。その樹種は、ケヤキ、栗、楠、栃ノ木、杉、ヒノキ、樫など多様で、石だけで加工できることも確認できた。丸木舟の速さは秒速1メートル、休みなく漕いで一日で80キロ程度の移動が可能だ。

   海の向こうの目標地は、明け方か夕方に山に登って確かめることになる。標高1200メートルまで登れば130キロ先まで見える。高い山があればもっと遠くまで見えることはご承知の通りだ。台湾から与那国島までは150キロに及ぶ長距離の移動、二日以上漕ぎ続けなければならない。

地図もなく通信もせず

   磁石、時計、GPSのない時代の航海は、天体、雲、風、波、鳥などあらゆる自然を観察して行われていた。内田沙希さんは、マオリ族の夫とともに、この伝統的ナビゲーションをハワイで実践している。その内田さんの夫も加わって航海が始まる。台湾のスオウから与那国島まで、目的地から50キロ圏内になるまで陸地は見えないという容易ではない条件だった。不眠と疲労の中で、三日目の夜明け前に西崎灯台がカシオペア座の方向、北北東に見え、航海は成功した。

   日本に人類が到達したのは、海水面が下がった氷河期に陸づたいで、と思っている人が多いかもしれないが、船で海を渡るしか選択はなかった。現代人が挑戦しても難しいこの課題に挑んだ理由が何かはいまだわかっていない。

   石垣島に暮らす八幡暁さんは、オーストラリアから日本列島まで、GPSを用いないでシーカヤックで単独航海する旅を何回かに分けて続けている。フィリピン諸島は周囲から数百キロ離れており、陸地が見えない中で数日間漕ぎ続ける必要がある。海を渡ることは人間にとって大きな恐怖でもあるが、遠くに見える陸地を目指して漕ぎ続ける喜びも大きいと語る。

   古代の営みは、漁労、狩猟、農業と食に関連して語られることが多いが、東南アジアから出発したホモ・サピエンスが、太平洋の各地へ拡散した動機はなんだったのだろう。その事情が何であれ、移動は、文化や生活の交流と発展をもたらす大切な営みだ。より良い暮らしを求めて知らない場所を旅しようとする私たちのDNAに、それが受け継がれているのだろう。

ドラえもんの妻

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