2020年 11月 30日 (月)

ザ・タイガース「フィナーレ」
バンド少年たちの真実の姿

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タケ×モリの「誰も知らないJ-POP」

   これはもう「昔話」と言ってしまっていいのだと思う。 その昔、「GS」と呼ばれるムーブメントがあった。でも、その頃にはそんな洒落た英語があったわけではなくて、最も使われていた言葉を使えば「ブーム」ということになる。

   1960年代の終わりから70年代の初めにかけて音楽の在り方を変えた二つの革命があった。ひとつは、「自作自演」。つまり作詞家や作曲家が作った歌ではなく、誰もがギター一本で自分の思ったことを歌にする。シンガー・ソングライターの登場があった。

   もうひとつが「バンド」である。

   60年代の初め、イギリスのビートルズやローリングストーンズに代表される一連のロック・バンドが世界の音楽を席巻した。「GS」は、そんな世界的潮流の日本的な形だった。「グループサウンド」の略称である。その最大の人気バンドがザ・タイガースだった。

  • 「フィナーレ」(USMジャパン)
    「フィナーレ」(USMジャパン)
  • 「フィナーレ」(USMジャパン)

叫びとは違う少女向けのサウンド

   ザ・タイガースは沢田研二(V)、森本太郎(G)、岸部修三(B)、瞳みのる(D)のオリジナルメンバーと、69年に脱退した加橋かつみ(G・V)の代わりに参加した、先日なくなった岸部シロー(当時)という5人組だ。全員が京都出身。そのメンバーになったのがビートルズ来日の66年。武道館の来日公演の客席にいたのが、デビューする前の彼ら、ザ・ファニーズだった。その時に、京都会館で行われた「全関西エレキバンドコンテスト」で優勝した賞金で作った制服を着ていたという話は有名だ。演奏したのはローリングストーンズの「サティスファクション」である。

   大阪のライブハウス、当時は音楽喫茶と言っていた「ナンバ一番」に出ていた彼らを見て「東京に来ないか」と誘ったのが内田裕也だった。

   ただ、彼らによってGSが始まったわけではない。その前に、ザ・ブルーコメッツとザ・スパイダーズという人気バンドがいた。

   すでにカントリーやジャズの世界で活動していた彼らが日本語のオリジナルの歌を演奏するようになるのもビートルズがきっかけだった。タイガースがデビューした67年2月、ブルーコメッツとスパイダーズはすでにヒット曲も持っており、下地は出来上がっていた。そこに点火、社会現象までに広がる起爆剤になったのがザ・タイガースだった。

   タイガースの最大の特徴は、「品」だったと思う。沢田研二に代表されるメンバーが醸し出す雰囲気はもちろんある。

   それに輪をかけたのが、父親が童話作家だった作詞家・橋本淳が描く少女趣味的なメルヘンとファンタジー、後にアニメ「ドラゴンクエスト」の音楽で新時代を開く作曲家・すぎやまこういちが作るあか抜けたメロディー。「僕のマリー」「モナリザの微笑み」「銀河のロマンス」「花の首飾り」など、その二人のコンビが書いた一連のシングルは彼らのイメージを増幅、10代の少女たちに爆発的に支持された。製菓会社が初めてバンドをCMに起用したのもタイガースだったからだ。

   それらの曲も演奏はエレキバンドである。ローリングストーンズの「サティスファクション」やビートルズの「ツイスト&シャウト」のような若者たちの直接的な叫びとは違う少女向けのバンドサウンド。それがその後の「GS」のステロタイプとなった。

一曲目がローリングストーンズ

   「GS」が世の中に肯定的に受け入れられたかというとそうでもない。むしろその逆だった。NHKは「長髪はご法度」と門前払いだったし教育委員会は、GSのコンサートへの参加を禁止、学校はエレキを認めなかった。遊園地の公演に殺到した少女たちに怪我人が出たこともあり「困ったもの」というのが世間の風潮だったと言っていい。

   音楽環境も整っていない。

   ライブハウスはもちろん今のようなコンサートホールすら出来ていない。彼らが演奏するのは客席が100名にも満たないジャズ喫茶やゴーゴークラブ。後はカラーテレビが普及し始めたテレビの歌謡番組。そこで歌わされるのは職業作家が書いたシングル曲ばかり。バンドを結成した最大の衝動だった「洋楽」は歌わせてもらえない。

   「やりたい音楽」と「やらされる音楽」のギャップ。同じような曲、同じような恰好、同じような名前。「柳の下のヒット狙い」は粗製乱造につながる。ピークだった68年だけで100近いバンドがデビューしている。タイガースのオリジナルメンバーの加橋かつみが、脱退した69年には、すでに衰退の兆しが見え始めていた。

   とは言え、日本で最初のバンドのムーブメントは、多くの個性的なバンドや新しい才能を輩出した。

   先日、マモル・マヌー(D・V)、ルイズルイス・加部(B)が相次いで亡くなった、日本で最初にR&B、ブルースロックを得意としていたザ・ゴールデンカップスは最後までシングル曲をステージで歌わなかった。萩原健一がボーカルだったザ・テンプターズもストーンズが十八番だった。鈴木ヒロミツがボーカルだったザ・モップスは現代音楽とのコラボレーションも試みている。メンバーそれぞれがミュージシャンや数々の名曲を残した作曲家としても輝かしい実績を残しているブルー・コメッツ、スパイダーズは言うまでもない。作曲家の筒美京平、鈴木邦彦、村井邦彦、作詞家の山上路夫なども「GS」がなかったら世に出られなかったかもしれない。

   時代の変わり目。「GS」は、60年代後半にアメリカやイギリスで始まったニューロック、サイケデリックロックなど「ビートルズ以降」の波に押し流され「シンガー・ソングライター」の台頭は70年代のフォークブームにとって代わられた。

   1971年1月24日、日本武道館で行われたザ・タイガースの解散コンサート「ビューティフルコンサート」は、自然消滅するかのようにひっそりと幕を閉じるバンドが殆どだった中で、最後を飾る事の出来た唯一の例だろう。

   武道館のビートルズ公演から5年。単独公演として行われた武道館最初のコンサートであり、史上初のライブアルバム。冒頭でMCから「Say after me,タイガース!」と英語で呼びかけられた客席の当惑したような空気が時代を物語っている。

   シングルヒットした代表曲を網羅しつつ、一曲目がローリングストーンズの「タイム・イズ・オン・マイ・サイド」であり、沢田研二の涙の言葉とともに歌われる「アイ・アンダスタンド」は、イギリスのバンド、ハーマンズ・ハーミッツの曲だ。

   49年前、平均年齢23歳のバンド少年たちの真実の姿がここにある。

(タケ)

タケ×モリ プロフィール
タケは田家秀樹(たけ・ひでき)。音楽評論家、ノンフィクション作家。「ステージを観てないアーティストの評論はしない」を原則とし、40年以上、J-POPシーンを取材し続けている。69年、タウン誌のはしり「新宿プレイマップ」(新都心新宿PR委員会)創刊に参画。「セイ!ヤング」(文化放送)などの音楽番組、若者番組の放送作家、若者雑誌編集長を経て現職。著書に「読むJ-POP・1945~2004」(朝日文庫)などアーティスト関連、音楽史など多数。「FM NACK5」「FM COCOLO」「TOKYO FM」などで音楽番組パーソナリテイ。放送作家としては「イムジン河2001」(NACK5)で民間放送連盟賞最優秀賞受賞、受賞作多数。ホームページは、http://takehideki.jimdo.com
 モリは友人で同じくJ-POPに詳しい。

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